・・・里川に合歓花あり、田に白鷺あり。麦やや青く、桑の芽の萌黄に萌えつつも、北国の事なれば、薄靄ある空に桃の影の紅染み、晴れたる水に李の色蒼く澄みて、午の時、月の影も添う、御堂のあたり凡ならず、畑打つものの、近く二人、遠く一人、小山の裾に数うるば・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・松を飛んだ、白鷺の首か、脛も見え、山鳥の翼の袖も舞った。小鳥のように声を立てた。 砂山の波が重り重って、余りに二人のほかに人がない。――私はなぜかゾッとした。あの、翼、あの、帯が、ふとかかる時、色鳥とあやまられて、鉄砲で撃たれはしまいか・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
一 白鷺明神の祠へ――一緑の森をその峰に仰いで、小県銑吉がいざ詣でようとすると、案内に立ちそうな村の爺さんが少なからず難色を顕わした。 この爺さんは、「――おらが口で、更めていうではねえがなす、・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・「いや、そればかりではねえ。――知っとるだ。お前様は人間扱いに、畜類にものを言わしったろ。」「畜類に。」「おお、鷺によ。」「鷺に。」「白鷺に。畷さ来る途中でよ。」「ああ、知ってるのかい、それはどうも。」 ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 十――水のすぐれ覚ゆるは、西天竺の白鷺池、じんじょうきょゆうにすみわたる、昆明池の水の色、行末久しく清むとかや。「お待ち。」 紫玉は耳を澄した。道の露芝、曲水の汀にして、さらさら・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 二 客は、なまじ自分の他に、離室に老人夫婦ばかりと聞いただけに、廊下でいきなり、女の顔の白鷺に擦違ったように吃驚した。 が、雪のようなのは、白い頸だ。……背後むきで、姿見に向ったのに相違ない。燈の消えたその・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 三「どっちです、白鷺かね、五位鷺かね。」「ええ――どっちもでございますな。両方だろうと思うんでございますが。」 料理番の伊作は来て、窓下の戸際に、がッしり腕組をして、うしろ向きに立って言った。「むこう・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・「ええ、ござりますとも、人足も通いませぬ山の中で、雪の降る時白鷺が一羽、疵所を浸しておりましたのを、狩人の見附けましたのが始りで、ついこの八九年前から開けました。一体、この泊のある財産家の持地でござりますので、仮の小屋掛で近在の者へ施し・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・稲の播かれるころには殊に多く白鷺が群をなして、耕された田の中を歩いている。 一時、わたくしの仮寓していた家の裏庭からは竹垣一重を隔て、松の林の間から諏訪田の水田を一目に見渡す。朝夕わたくしはその眺望をよろこび見るのみならず、時を定めず杖・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・大鷲神社の傍の田甫の白鷺が、一羽起ち二羽起ち三羽立つと、明日の酉の市の売場に新らしく掛けた小屋から二、三個の人が見われた。鉄漿溝は泡立ッたまま凍ッて、大音寺前の温泉の烟は風に狂いながら流れている。一声の汽笛が高く長く尻を引いて動き出した上野・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫