・・・それはベルギーのアルベール皇帝とエリザベート皇后とであった。この活動の間にマリアは多くの危険にさらされ、一九一五年の四月のある晩は、病院からの帰り、自動車が溝に落ちて顛覆して負傷したこともあった。が、娘たちがそのことを知ったのは再び彼女が出・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・知られているとおり、ウィルヘルム二世はビスマークの扶けをもって、正義と皇帝の絶対権とを結びつけて人民にのぞんだが、十九世紀前半のその頃の欧州は近代社会の経済事情の飛躍とともにウィルヘルム、ビスマークのその政治につよく反対していた。文学におい・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・不幸な露国皇帝が彼の死を死んだ運命の尖端 其から御飯を食べ、又少し本を見て、今改めて机に向った私は、もうすっかり先刻の重圧からは脱して、活気に満ちた心と、頭とを持って居ります。本が面白かった許りではなく、僅かな時の間に、彼程退屈だった雨・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ワグナーがオペラをプロシア皇帝の治世の具として自薦したとき、はっきりそのことを云った。それでニーチェは、ワグナーと絶交したのだった。〔一九五一年一月〕 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ペトログラードの民衆はガーポン僧正を先に聖旗をなびかせ、「父なる皇帝よ」を唱いながら皇帝へ哀訴にやって来た。群衆の中には無数の女子供があった。彼らがひざまずいて祈りはじめ哀号しはじめると、皇帝ニコライは慈愛深い父たる挨拶として無警告の一斉射・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ オペラを生んで、これほど大規模なものに育てあげたワグナー自身がドイツ皇帝ウィルヘルム一世にあてて書いた手紙をよむと、きょうのわれわれのオペラへの疑問が説明される。 ワグナーは晩年には、音楽は民衆をたやすく統治するための有効な手段だ・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・ わしの幾代か前の祖先、幾代か昔の皇帝の時からこの権は王がもって居ったのをわしの時に法王にゆずったと申いては、わしがいかにものう愚かな者の様に後の人達は思うのじゃ。 心からわしが御事を偉い御方じゃと思うたらゆずっても進ぜようがのう、・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・『皇帝が殺されたんだ!』 ヴィクトルは帰って来ると、詰らなそうに外套をぬぎながら怒って云った。『俺は戦争だろうと思ったのに!』 皆は揃ってお茶を飲んだ。そして安らかに、とは云え、声を潜めて用心深く語り合った。」「二日の間・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
皇帝と地主と資本家によって搾取が行われていた時代、ロシアの勤労階級の男は、教会の坊主から常に「お前らが此世でつかえなければならない主人は三人ある」と説教されていた。その三人の主人というのは「天の神、神の子であるツァー、ツァ・・・ 宮本百合子 「ロシア革命は婦人を解放した」
・・・血の日曜日に、冬宮の前で、皇帝の命令によって、射殺された数千の大衆の写真、シベリアの或る鉱山で、ゼネ・ストに参加した労働者七百人が、殺されて倒れている写真、実にヒシヒシと、プロレタリア・農民の過去の革命的努力が見る者の心にせまって来る。・・・ 宮本百合子 「ロシアの過去を物語る革命博物館を観る」
出典:青空文庫