・・・なるほどそう云われて見ると、黒々と盛り上った高地の上には、聯隊長始め何人かの将校たちが、やや赤らんだ空を後に、この死地に向う一隊の士卒へ、最後の敬礼を送っていた。「どうだい? 大したものじゃないか? 白襷隊になるのも名誉だな。」「何・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・殊に色白なその頬は寝入ってから健康そうに上気して、その間に形よく盛り上った小鼻は穏やかな呼吸と共に微細に震えていた。「クララの光の髪、アグネスの光の眼」といわれた、無類な潤みを持った童女にしてはどこか哀れな、大きなその眼は見る事が出来なかっ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・「こいつ、学校で、勉強盛りに、親がわるいと言うのを聞かずに、夢中になって、余り凝るから魔が魅した。ある事だ。……枝の形、草の影でも、かし本の字に見える。新坊や、可恐い処だ、あすこは可恐い処だよ。――聞きな。――おそろしくなって帰れなかっ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・人の見る所にも見ない所にも梅は盛りである。菜の花も咲きかけ、麦の青みも繁りかけてきた、この頃の天気続き、毎日長閑な日和である。森をもって分つ村々、色をもって分つ田園、何もかもほんのり立ち渡る霞につつまれて、ことごとく春という一つの感じに統一・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・や滝夜叉の首……こんな物が順ぐりに、あお向けに寝て覚めている室の周囲の鴨居のあたりをめぐって、吐く息さえも苦しくまた頼もしかった時だ――「鬼よ、羅刹よ、夜叉の首よ、われを夜伽の霊の影か……闇の盃盤闇を盛りて、われは底なき闇に沈む」と、僕が新・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・この時代が椿岳の最も奇を吐いた盛りであった。 伊藤八兵衛と手を分ったのは維新早々であったが、その頃は伊藤もまだ盛んであったから椿岳の財嚢もまたかなり豊からしかった。浅草の伝法院へ度々融通したのが縁となって、その頃の伝法院の住職唯我教信と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と、当時の若者は、もういい働き盛りになっていて、こう答えました。「おたがいに、この世の中から、美しい、喜ばしいことを知りましょう。私は、あなたが、私のために乱暴者からなぐられて、血を流されたことを一生忘れません。」「いえ、いつかも、・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・お光さんなんざまだ女の盛りなんだもの、本当の面白いことはこれからさ」「いいえ、もうこんな年になっちゃだめだよ。そりゃ男はね、三十が四十でも気の持ちよう一つで、いつまでも若くていられるけど、女は全く意気地がありませんよ。第一、傍がそういつ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・いや、たしかに乳房といってもいいくらい、武田さんの胸は肉が盛り上っていた。 そこへ、都新聞の記者が来て、「満州へ行かれるんですか。旅行日記はぜひ頼みますよ」「うえへッ!」 武田さんは飛び上った。「まず、満州へ行く感想とい・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・あったり、後から誰か来合せたりすると彼は往きにもまして一層滅入った、一層圧倒された惨めな気持にされて帰らねばならぬのだ―― 彼は歯のすっかりすり減った日和を履いて、終点で電車を下りて、午下りの暑い盛りをだら/\汗を流しながら、Kの下宿の・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫