・・・ 目白の女子大にいたのは、ほんの一学期であったが、ここで知った網野菊子さんは、今も私の誠意ある友達の一人である。野上彌生子さんその他何人かの友達も、やはり文学を中心としてその歴史をさかのぼり、今日まで流れすすんで来たりした過程にめぐりあ・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・女学校卒業、目白の女子大学英文予科へ入学。「農民」を書きなおし、「貧しき人々の群」という題にした。二百枚ぐらいあった。母によんでもらい、仲よしにもよんで貰った。坪内雄蔵先生のところへそれを持ってゆくことになり、『中央公論』の瀧田樗蔭に会・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ それは、ひろ子が四年間暮した目白の家の二階であった。二階はその一室しかなくて、ひろ子は、片手にタオルを握ったなり、乾いた空気に喘ぐような思いで仕事をした。 その座敷のそとに物干がついていた。物干に、かなり大きい風知草の鉢が置かれて・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・彼が、目白の学習院へ招ばれ、フロックコオトを着て述べたところの講演は、若い公達等に、人間性の自覚の必要を力説したものであった。 漱石は、飾らない言葉で一面では日露戦争後の日本人の盲目的なヨーロッパ崇拝を罵倒し、他の一面ではヨーロッパの文・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫