・・・とばかり戦いて、取去ろうとすると、自若として、「今では誰が見ても可いんです、お心が直りましたら、さあ、将棊をはじめましょう。」 静に放すと、取られていた手がげっそり痩せて、着た服が広くなって、胸もぶわぶわと皺が見えるに、屹と目をみは・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・川を越えて、山に入る、辰口という小さな温泉に行きて帰るさ、件の茶屋に憩いて、児心に、ふと見たる、帳場にはあらず、奥の別なる小さき部屋に、黒髪の乱れたる、若き、色の白き、痩せたる女、差俯向きて床の上に起直りていたり。枕許に薬などあり、病人なり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・お袋は軽く答えて、僕の方に向き直り、「先生、お父さんはもう帰していいでしょう?」「そこは御随意になすってもらいましょう。――御窮屈なら、お父さん、おさきへ御飯を持って来させますから」と、僕は手をたたいて飯を呼んだ。「お父さんは御飯を・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 政ちゃんの機嫌は、すっかり直りました。このとき、勇ちゃんは、とっくに大きなりんごを持って出てしまって、いなかったのであります。「おなかが痛い。」 勇ちゃんは、朝起きると、腹を押さえていいました。「おなかが痛いの、どうしたん・・・ 小川未明 「政ちゃんと赤いりんご」
・・・「そういうのはどうしても直りが遅いわけさね。新さんもじれッたかろうが、お光さんも大抵じゃあるめえ」「そりゃ随分ね何も病人の言うことを一々気にかけるじゃないけど、こっちがそれだけにしてもやっぱり不足たらだらで、私もつくづく厭になっちま・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・とむしろ開き直り、二三度押問答のあげく、結局お辰はいい負けて、素手では帰せぬ羽目になり、五十銭か一円だけ身を切られる想いで渡さねばならなかった。それでも、一度だけだが、板の間のことをその場で指摘されると、何ともいい訳けのない困り方でいきなり・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・豹吉やお加代や亀吉がやがて更生して行くだろう経過、豹吉とお加代、そして雪子との関係、小沢と道子の今後、伊部の起ち直りの如何……その他なお述べるべきことが多いが、しかしそれらはこの「夜光虫」と題する小説とはまたべつの物語を構成するであろう。・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・すっかり直りますから。その代り一円五十銭置いてって下さい。」農民六爾薩待「どうだ。開業早々からこううまく行くとは思わなかったなあ。半日で十円になる。看板代などはなんでもない。もう七人目のやつが来そうなもんだがなあ。」「今日は・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・この剪定鋏はひどく捩れておりますから鍛冶に一ぺんおかけなさらないと直りません。こちらのほうはみんな出来ます。はじめにお値段を決めておいてよろしかったらお研ぎいたしましょう。」「そうですか。どれだけですか。」「こちらが八銭、こちらが十・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・ さて、私の頭はずんずん奇麗になり、疲れも大へん直りました。これなら、今夜よく寝んで、あしたは大学のあの地下になっている標本室で、向うの助手といちにち暮しても大丈夫だと思って、気持ちよく青い植木鉢や、アーティストの白い指の動くのや、チャ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫