・・・「円満具足の相好とは行きませんかな。そう云えばこの麻利耶観音には、妙な伝説が附随しているのです。」「妙な伝説?」 私は眼を麻利耶観音から、思わず田代君の顔に移した。田代君は存外真面目な表情を浮べながら、ちょいとその麻利耶観音を卓・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・……お言には――相好説法――と申して、それぞれの備ったおん方は、ただお顔を見たばかりで、心も、身も、命も、信心が起るのじゃと申されます。――わけて、御女体、それはもう、端麗微妙の御面相でなければあいなりません。――……てまいただ、力、力が、・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 警官は斯う云って、初めて相好を崩し始めた。「あ君か! 僕はまた何物かと思って吃驚しちゃったよ。それにしてもよく僕だってことがわかったね」 彼は相手の顔を見あげるようにして、ほっとした気持になって云った。「そりゃ君、警察眼じ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・助七は、急に相好をくずした。「知っていやがる。それを言われちゃ、一言もない。あなたは、まだ忘れていないんだね。おれが、あいつを立派な気高い女にして呉れ、って、あなたに頼んだこと、まだ、忘れていないんだね。こいつあ、まいった。いや、ありがとう・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・背を高くそびやかし耳を伏せて恐ろしい相好をする。そして命がけのような勢いで飛びかかって来る。猫にとってはおそらく不可思議に柔らかくて強靭な蚊帳の抵抗に全身を投げかける。蚊帳のすそは引きずられながらに袋になって猫のからだを包んでしまうのである・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・殊に瞽女のお石と馴染んでからはもうどんな時でもお石の噺が出れば相好を崩して畢う。大きな口が更に拡がって鉄漿をつけたような穢い歯がむき出して更に中症に罹った人のように頭を少し振りながら笑うのである。然し瞽女の噂をして彼に揶揄おうとするものは彼・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・呶鳴りながら、野蛮な顔の相好を二目と見られぬ有様に引歪め、「貴様、宮本からもらって読んでるじゃないかッ」 ドズン! 何というこれは愚かな嘘であろう。「知らない、そんなもの」「知らないィ?」「知らない」「人をォ……・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・見てくれ、折角荒々しいような執念いような、気味悪い俺の相好も、半時彼方で香の煙をかいで来ると、すっかりふやけて間のびがして仕舞った。どうだ、少しは俺らしくなったか?ヴィンダー上帝の奴、手に負えない狡猾者だ。俺達やカラは、地体ああ云ういや・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫