・・・ 婆さんは嘲るように、じろりと相手の顔を見ました。「この頃は折角見て上げても、御礼さえ碌にしない人が、多くなって来ましたからね」「そりゃ勿論御礼をするよ」 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてや・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 二人が風呂から上がると内儀さんが食膳を運んで、監督は相伴なしで話し相手をするために部屋の入口にかしこまった。 父は風呂で火照った顔を双手でなで上げながら、大きく気息を吐き出した。内儀さんは座にたえないほどぎごちない思いをしているら・・・ 有島武郎 「親子」
・・・紳士 餓鬼め、其奴か。侍女 ええ。紳士 相手は其奴じゃな。侍女 あの、私がわけを言って、その指環を返しますように申しますと、串戯らしく、いや、これは、人間の手を放れたもの、烏の嘴から受取ったのだから返されない。もっとも、烏に・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・月待草に朝露しとど湿った、浜の芝原を無邪気な子どもを相手に遊んでおれば、人生のことも思う機会がない。 あってみない前の思いほどでなく、お光さんもただ懇切な身内の人で予も平気なればお光さんも平気であったに、ただ一日お光さんは夫の許しを得て・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ まず海苔が出て、お君がちょっと酌をして立った跡で、ちびりちびり飲んでいると二、三品は揃って、そこへお貞が相手に出て来た。「お独りではお寂しかろ、婆々アでもお相手致しましょう」「結構です、まア一杯」と、僕は盃をさした。 婆さ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・そして女房のするように、一番はずれの白樺の幹に並んで、相手と向き合って立った。 周囲の草原はひっそりと眠っている。停車場から鐸の音が、ぴんぱんぴんぱんというように遠く聞える。丁度時計のセコンドのようである。セコンドや時間がどうなろうと、・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ 長い年月の間、話をする相手もなく、いつも明るい海の面をあこがれて、暮らしてきたことを思いますと、人魚はたまらなかったのであります。そして、月の明るく照らす晩に、海の面に浮かんで、岩の上に休んで、いろいろな空想にふけるのが常でありました・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・それに、女の斜眼は面と向ってみると、相当ひどく、相手の眼を見ながら、物を言う癖のある私は、間誤つかざるを得なかった。 暫らく取りとめない雑談をした末、私は機を求めて、雨戸のことを申し出た。だしぬけの、奇妙な申し出だった故、二人は、いえ、・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・と、相手の呶鳴るのを抑える為め手を振って繰返すほかなかった。「……実に変な奴だねえ、そうじゃ無い?」 よう/\三百の帰った後で、彼は傍で聴いていた長男と顔を見交わして苦笑しながら云った。「……そう、変な奴」 子供も同じように・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・彼は相手の今までの話を、そうおもしろがってもいないが、そうかと言って全然興味がなくもないといった穏やかな表情で耳を傾けていた。彼は相手に自分の意見を促されてしばらく考えていたが、「さあ……僕にはむしろ反対の気持になった経験しか憶い出せな・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫