・・・そしてわずか一と月ほどの間に、あの療養地のN海岸で偶然にも、K君と相識ったというような、一面識もない私にお手紙をくださるようになったのだと思います。私はあなたのお手紙ではじめてK君の彼地での溺死を知ったのです。私はたいそうおどろきました。と・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・店の主人は既にわたくしとは相識の間である。偶然の会合に興を得て店頭の言談には忽花がさいた。主人は喜んで新に買入れた古書錦絵の類を取出して示す。展覧に時刻を移したが、初夏の日は猶高く食時にもまだ大分間がある。さりとてこの人数袂をつらねて散歩に・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・によって後者の庶民的生活力には結びつかず、象徴派のマラルメやアンリ・ド・レニエなどと相識り、爾後四五年間はその温室の中にあって、間接に『法螺貝』、『半人獣』などという雑誌編輯に当り、グループの「最も光彩陸離たる聖職者の一人」となった。 ・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・この期間に、有名なマダム・ド・ベルニィとバルザックとの十年間に亙る意味ふかい相識がはじまったのである。 ロオル・ベルニィ夫人の父というのは、ルイ十六世の宮廷に出入してマリイ・アントワネットの音楽教師を勤めたヒンネルというドイツ人であり、・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・この四ヵ月にわたるロオマとネエプルの旅の間で、マリアの第二の愛情の対象となった伯爵アントネリオの息子ピエトロと相識った。ピエトロはマリアに魅せられ、マリアもつよく彼にひきつけられて、この一八七六年の日記は、寸刻もじっとしていない若々しい激情・・・ 宮本百合子 「マリア・バシュキルツェフの日記」
・・・景一は京都赤松殿邸にありし時、烏丸光広卿と相識に相成りおり候。これは光広卿が幽斎公和歌の御弟子にて、嫡子光賢卿に松向寺殿の御息女万姫君を妻せ居られ候故に候。さて景一光広卿を介して御当家御父子とも御心安く相成りおり候。田辺攻の時、関東に御出遊・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 為永春水はまだ三鷺と云い、楚満人と云った時代から竜池と相識になってこの遊の供をした。竜池が人情本中に名を留むるに至ったのは此に本づいている。 竜池は我名の此の如くに伝播せらるるを忌まなかった。啻にそれのみではない。竜池は自ら津国名・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・しかし相識になってから時が立つに従って、この距離が段々縮まって来た。 それには衣食に事を闕いても書物を買うと云う君の学問好を認めた為めもあるが、決してそればかりではない。ドイツ語に於ける君の造詣の深いことは、初対面の日にもう知れていた。・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫