・・・空は底を返したるごとく澄み渡りて、峰の白雲も行くにところなく、尾上に残る高嶺の雪はわけて鮮やかに、堆藍前にあり、凝黛後にあり、打ち靡きたる尾花野菊女郎花の間を行けば、石はようやく繁く松はいよいよ風情よく、えんようたる湖の影はたちまち目を迎え・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・西の空うち見やれば二つの小さき星、ひくく地にたれて薄き光を放てり、しばらくして東の空金色に染まり、かの星の光自から消えて、地平線の上に現われし連山の影黛のごとく峰々に戴く雪の色は夢よりも淡し、詩人が心は恍惚の境に鎔け、その目には涙あふれぬ。・・・ 国木田独歩 「星」
・・・と声をかけると声のやさしい女は細目にあけて黛を一寸のぞかせて、「ようこそ、どうぞ御入りあそばして」と云ってすぐ几帳を引いてしまった。「よく来て下さったこと、今に兄君も常盤の君も紫の君も見えるでしょうからね」とうれしそうに・・・ 宮本百合子 「錦木」
出典:青空文庫