・・・といいながらも判事は眉根を寄せたのである。「お聞きなさいまし旦那様、その爺のためにお米が飛んだことになりました。」 九「まずあれは易者なんで、佐助めが奥様に勧めましたのでございます、鼻は卜をいたします。」・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・とお光は美しい眉根を寄せてしみじみ言ったが、「もっともね、あの病気は命にどうこうという心配がないそうだから、遅かれ早かれ、いずれ直るには違いないから気丈夫じゃあるけど、何しろ今日の苦しみが激しいからね、あれじゃそりゃ体も痩せるわ」「まあ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ ほどなく冬季休暇にはいり、彼はいよいよ気むずかしくなって帰郷した。眉根に寄せられた皺も、どうやら彼に似合って来ていた。母はそれでも、れいの高等教育を信じて、彼をほれぼれと眺めるのであった。父はその悪辣ぶった態度でもって彼を迎えた。善人・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・快からぬ眉根は自ら逼りて、結べる口の奥には歯さえ喰い締ばるならん。「さらば行こう。後れ馳せに北の方へ行こう」と拱いたる手を振りほどいて、六尺二寸の躯をゆらりと起す。「行くか?」とはギニヴィアの半ば疑える言葉である。疑える中には、今更・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を想い見る人こそ幸あれ。日毎夜毎に死なんと願え・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 口々の不平を泰然と岡本はちょいと意地悪そうに眉根をぴりりとさせながら、「生憎海老が切れましたから蝦姑にいたしました」と答えた。――忠一や篤介と岡本は仲が悪く、彼等は彼女がその部屋におるのに庭を見ながら、「おい、うらなりだね・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・甃のところまで来ると、人間が用心して物を見る時のとおり眉根の辺を動かす表情で此方を見て、害心のないのを感じたらしくそこへ坐った。それでもまだ視線は人間から決して離そうとしない。 この犬、どっかから逃げて来たんだって。小さい男の子が、そん・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・友達共は、皆相当に、幸福に暮して居るのに、自分は今どうして居るのだろうと思うと、薄い眉根にくしゃくしゃな「しわ」を寄せて、臭い様な顔付をした。 そして、さのみ気が乗ったでもない様にして、枕元の小盆の傍に小寒く伏せてあった雑誌を取りあげた・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ ひろ子の眼の裡を深く眺めて、やがて重吉が何か云おうとしたとき、「やあ、どうも大変失礼しました」 眉根の太い、小柄な吉岡が戻って来た。「ここで養成された看護婦さんの巣立ちだもんだから、どうも手間どって」 実験用テーブルの・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・すると、赤っぽい上着に、ワイシャツ、長ズボンといういでたちのサーシャは勿体ぶって眉根をよせ、「この児が僕の云うことを聞かないと困るがね」 祖父はゴーリキイの頭へ手をかけて、首を下げさせた。「サーシャの云うことを聞くんだ。お前より・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫