・・・うとうと眠気がさして来ても、その声ばかりは、どうしても耳をはなれませぬ。とんと、縁の下で蚯蚓でも鳴いているような心もちで――すると、その声が、いつの間にやら人間の語になって、『ここから帰る路で、そなたに云いよる男がある。その男の云う事を聞く・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・しかし僕にのしかかって来る眠気と闘うのは容易ではなかった。僕は覚束ない意識の中にこう云う彼の言葉を聞いたりした。「I detest Bernard Shaw.」 しかし僕は腰かけたまま、いつかうとうと眠ってしまった。すると、――おの・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ それでも二時を聞いてしまうと、ようやく眠気がきざして来た。――お蓮はいつか大勢の旅客と、薄暗い船室に乗り合っている。円い窓から外を見ると、黒い波の重なった向うに、月だか太陽だか判然しない、妙に赤光のする球があった。乗合いの連中はどうし・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ 湯上りで、眠気は差したり、道中記を記けるも懶し、入る時帳場で声を懸けたのも、座敷へ案内をしたのも、浴衣を持って来たのも、お背中を流しましょうと言ったのも、皆手隙と見えて、一人々々入交ったが、根津、鶯谷はさて置いて柳原にもない顔だ、於雪・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・と、監督は、たちまちの間に眠気をもよおし、「さあ、みんなも、ちっと休むだ。」といって、彼は、そこにある帽子を頭に当てて日の光をさえぎりながら、ぐうぐうと寝こんでしまいました。 ケーは、汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場に・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・たべおわりなば火にあたれといいて、うまかりしかと問う紀州は眠気なる眼にて翁が顔を見てかすかにうなずきしのみ。源叔父はこの様見るや、眠くば寝よと優しくいい、みずから床敷きて布団かけてやりなどす。紀州の寝し後、翁は一人炉の前に坐り、眼を閉じて動・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・読んでいるうちに実に意外にも今を去る二千数百年前のギリシア人が実に巧妙な方法でしかも電波によって遠距離通信を実行していたという驚くべき記録に逢ってすっかり眠気をさまされてしまったのである。尤も電波とは云ってもそれは今のラジオのような波長の長・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ 瞼の上には、眠気が、甘ったるく、重く、のしかかって来る。 やがて、恭二などが帰って来る頃なので、髪をまとめるつもりで頭に手をやりはやっても、こらえきれないねむたさに、その手をどうにも斯うにもする事が出来なかった。 二時間ほどし・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・紅は何となく眠気がさして来た。頭ばかり用って眠る時間の少いために、うつむいたまま形をくずさないでしずかに眠って居る。光君は人形を抱いたままだまって目をつぶって居る。乳母はだまって光君の様子を見つめて居る。 夜は段々更けて行く、いつまで立・・・ 宮本百合子 「錦木」
出典:青空文庫