・・・ とおげんは自分に言って見て、熊吉の側に坐り直しながら、眩暈心地の通り過ぎるのを待った。金色に光った小さな魚の形が幾つとなく空なところに見えて、右からも左からも彼女の眼前に乱れた。 こんなにおげんの激し易くなったことは、酷く弟達を驚・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・魚容は気抜けの余りくらくら眩暈して、それでも尚、この場所から立ち去る事が出来ず、廟の廊下に腰をおろして、春霞に煙る湖面を眺めてただやたらに溜息をつき、「ええ、二度も続けて落第して、何の面目があっておめおめ故郷に帰られよう。生きて甲斐ない身の・・・ 太宰治 「竹青」
・・・一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・あまりの気取りに、窒息、眩暈をさえ生じたという。むしろ気の毒な悪業である。もともと笠井さんは、たいへんおどおどした、気の弱い男なのである。精神薄弱症、という病気なのかも知れない。うしろのアンドレア・デル・サルトたちが降りてしまったので、笠井・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・そう思ったら、それと同時に、くるくる眩暈がはじまって、何か自分が、おそろしい大豪傑にでもなってしまったかのような、たいへんな錯覚が生じたのである。読者にも、おぼえが無いか。私は自身の思わぬ手柄に、たしかに逆上せてしまったのである。「さ、・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・机の前にだまって坐っていると、急に、しんと世界が暗くなって、たしかに眩暈の徴候である。暑熱のために気が遠くなるなどは、私にとって生れてはじめての経験であった。家内は、からだじゅうのアセモに悩まされていた。甲府市のすぐ近くに、湯村という温泉部・・・ 太宰治 「美少女」
・・・いつも人と会うときには殆どぐらぐら眩暈をして、話をしていなければならんような性格なので、つい酒を飲むことになる。それで健康を害し、或いは経済の破綻などもしばしばあって、家庭はいつも貧寒の趣きを呈しております。寝てからいろいろその改善を企図す・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・美しい花の雲を見ていると眩暈がして軽い吐気をさえ催した。どんよりと吉野紙に包まれたような空の光も、浜辺のような白い砂地のかがやきも、見るもののすべての上に灰色の悲しみが水の滲みるように拡がって行った。「あなたはどうしてそんなに悲しそうで・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・ 三右衛門は灼けるような痛を頭と手とに覚えて、眩暈が萌して来た。それでも自分で自分を励まして、金部屋へ引き返して、何より先に金箱の錠前を改めた。なんの異状もない。「先ず好かった」と思った時、眩暈が強く起こったので、左の手で夜具葛籠を引き・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・私は自分の製作活動において自分の貧弱をまざまざと見たのである。製作そのものも、そこに現われた生活も、かの偉人たちの前に存在し得るだけの権威さえ持っていなかった。私は眩暈を感じた。しかし私は踏みとどまった。再び眼が見え出した時には、私は生きる・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫