・・・それに伴れて我々の内面生活と云うものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・悲しいかな今のわれらは刻々に押し流されて、瞬時も一所にていかいして、われらが歩んで来た道を顧みる暇を有たない。われらの過去は存在せざる過去の如くに、未来のために蹂躙せられつつある。われらは歴史を有せざる成り上りものの如くに、ただ前へ前へと押・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・火の粉を梨地に点じた蒔絵の、瞬時の断間もなく或は消え或は輝きて、動いて行く円の内部は一点として活きて動かぬ箇所はない。――「占めた」とシーワルドは手を拍って雀躍する。 黒烟りを吐き出して、吐き尽したる後は、太き火かえんが棒となって、熱を・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・そして記憶が回復された一瞬時に、すべての方角が逆転した。すぐ今まで、左側にあった往来が右側になり、北に向って歩いた自分が、南に向って歩いていることを発見した。その瞬間、磁石の針がくるりと廻って、東西南北の空間地位が、すっかり逆に変ってしまっ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・余はそれを食い出してから一瞬時も手を措かぬので、桑の老木が見える処へは横路でも何でもかまわず這入って行って貪られるだけ貪った。何升食ったか自分にもわからぬがとにかくそれがためにその日は六里ばかりしか歩けなかった。寐覚の里へ来て名物の蕎麦を勧・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・主観的の方は恐ろしい、苦しい、悲しい、瞬時も堪えられぬような厭な感じであるが、客観的の方はそれよりもよほど冷淡に自己の死という事を見るので、多少は悲しい果敢ない感もあるが、或時は寧ろ滑稽に落ちて独りほほえむような事もある。主観的の方は、病気・・・ 正岡子規 「死後」
・・・されば防者九人の目は瞬時も球を離るるを許さず。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者もまた球に注目せざればついにその要領を得ざるべし。今尋常の場合を言わば球は投者の手にありてただ本基に向って投ず。本基の側には必らず打者一人棒を持ちて立つ。投者・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・ 私は一瞬時もじいっとして居ない子供の心を非常に珍らしがって見て居ました。 いつもはこんなに絶え間なくお伽の中に入った事を云って居る事は無いのですから、この周囲の様子が余程力添えをして居るものと見えます。 先にいつだったか私と一・・・ 宮本百合子 「小さい子供」
・・・ 天心たかく――まぶたひたと瞑ぢて――まぶたひたと瞑ぢて―― 無我の瞬時、魂は自由な飛翔をすると思う。其時に「人」はよくなる。生きる霊魂には斯ういう忘我がなければならない。小細工に理窟で修繕するのではない根からすっかり洗われるのだ。・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・と云う祖国の気分を負って居る。「今」と云う瞬時。その「今」は、恒久な意識の流れを截断した瞬間的断面だと云えるならば、「私」も亦、伝説が、日本の神人を語るより以前からの「日本人」の一断面ではないだろうか。私は今、紐育の町中に居る。私の足の・・・ 宮本百合子 「無題」
出典:青空文庫