・・・ ところが、その大阪的な御寮人さんの場合どうなったか、私は知る由もないが、しかし彼女が時時憤然たる顔をして戎橋の「月ヶ瀬」というしるこ屋にはいっているのを私は見受けるのである。「月ヶ瀬」へ彼女が現れるのは、大抵夫婦喧嘩をしたときに限るの・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 私の心はなんだかびりりとしました。知るということと行うということとに何ら距りをつけないと云った生活態度の強さが私を圧迫したのです。単にそればかりではありません。私は心のなかで暗にその調停者の態度を是認していました。更に云えば「その人の・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・「けれども君は、かの後の事はよく知るまい、まもなく君は木村と二人で転宿してしまったから……なんでも君と木村が去ってしまって一週間もたたないうちだよ、ばあさんたまらなくなって、とうとう樋口をくどいて国郷に帰してしまったのは。ばアさん、泣き・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・そうしているうちには、もともと人生と人間とを知ること浅く、無理な、過大な要求を相手にしているための不満なのだから、相方が思い直して、もっと無理のない、現実に根のある、しんみりした、健実な夫婦生活を立てていこうとするようになる。今さら・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・誰れが知るもんか! 誰れが知るもんか! 六 松木は、酒保から、餡パン、砂糖、パインアップル、煙草などを買って来た。 晩におそくなって、彼は、それを新聞紙に包んで丘を登った。石のように固く凍てついている雪は、靴にかちか・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・しかし主人の耳にも浄瑠璃なんどに出る忠臣という語に連関して聞えたか、「話せッて云ったって、隠すのじゃ無いが、おんなわらべの知る事ならずサ。」 浄瑠璃の行われる西の人だったから、主人は偶然に用いた語り物の言葉を用いたのだが、同じく西の・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・死者は、なんの感ずるところなく、知るところなく、よろこびもなく、かなしみもなく、安眠・休歇にはいってしまうのに、これを悼惜し、慟哭する妻子・眷属その他の生存者の悲哀が、幾万年かくりかえされた結果として、なんびとも、死は漠然とかなしむべし、お・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・然しこの級長はこれから打ち当って行く生活からその本当のことを知るだろうと考えた。――一九三一・一二・一○―― 小林多喜二 「級長の願い」
・・・私たちが坂の下の石段を降りるのを足音できき知るほど、もはや三年近くもお徳は私の家に奉公していた。主婦というもののない私の家では、子供らの着物の世話まで下女に任せてある。このお徳は台所のほうから肥った笑顔を見せて、半分子供らの友だちのような、・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・過去において明らかにかような名辞を用いたのは、私の知る限りでは、Professor W. H. Hudson のルーソー論に Naturalism in Life と言っているのなどがその最近の例である。これは言うまでもなくルーソーの「自然・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
出典:青空文庫