・・・東京には親戚といって一軒もなし、また私の知人といっても、特に父の病死を通知して悔みを受けていいというほどの関係の人は、ほとんどないといってよかった。ほんの弟の勤めさきの関係者二三、それに近所の人たちが悔みを言いに来てくれたきりだった。危篤の・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
一 神田のある会社へと、それから日比谷の方の新聞社へ知人を訪ねて、明日の晩の笹川の長編小説出版記念会の会費を借りることを頼んだが、いずれも成功しなかった。私は少し落胆してとにかく笹川のところへ行って様子を聞いてみようと思って、郊・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ 豊吉二十のころの知人みな四十五十の中老になって、子供もあれば、中には孫もある、その人々が続々と見舞にくる、ことに女の人、昔美しかった乙女の今はお婆さんの連中が、また続々と見舞に来る。 人々は驚いた、豊吉のあまりに老いぼれたのに。人・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・「僕の知人にこう言った人があります。吾とは何ぞやWhat am I ?なんちょう馬鹿な問を発して自から苦ものがあるが到底知れないことは如何にしても知れるもんでない、とこう言って嘲笑を洩らした人があります。世間並からいうとその通りです、然・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 曹長は、それから、彼の兄弟のことや、内地へ帰ってからどういう仕事をしようと思っているか、P村ではどういう知人があるか、自分は普通文官試験を受けようと思っているとか、一時間ばかりとりとめもない話をした。曹長は現役志願をして入営した。曹長・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・園子は、老人達の田舎縞を知人に見られるのを恥かしがっているのだった。「どら、どんなんぞい。」園子が去ったあとでじいさんは新しい着物を手に取って見た。「これゃ常着にゃよすぎるわい。」「袷じゃせに、これゃ寒いじゃろう。」ばあさんは、布地・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・秀吉が筑前守時代に数の茶器を信長から勲功の賞として貰ったことを記している手紙を自分の知人が持っている。専門の史家の鑑定に拠れば疑うべくもないものだ。で、高慢税を払わせる発明者は秀吉ではなくて、信長の方が先輩であると考えらるるのであるが、大に・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・亭主はちょっと考えしが、「ハテナ、近所の奴に貸た銭でもあるかしらん。知人も無さそうだし、貸す風でもねえが。と独語つところへ、うッそりと来かかる四十ばかりの男、薄汚い衣服、髪垢だらけの頭したるが、裏口から覗きこみながら、異に潰れた声で・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・しばらく高瀬は畠側の石に腰掛けて、その知人の畠を打つのを見ていた。 その人は身を斜めにし、うんと腰に力を入れて、土の塊を掘起しながら話した。風が来て青麦を渡るのと、谷川の音と、その間には蛙の鳴声も混って、どうかすると二人の話はとぎれとぎ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 今でこそあまり往来もしなくなって、年始状のやり取りぐらいな交際に過ぎないが、私の旧い知人の中に一人の美術家がある。私はその美術家の苦しい骨の折れた時代をよく知っているが、いつのまにか人もうらやむような大きな邸を構え住むようになった。昔・・・ 島崎藤村 「分配」
出典:青空文庫