・・・ 銀灰色の靄と青い油のような川の水と、吐息のような、おぼつかない汽笛の音と、石炭船の鳶色の三角帆と、――すべてやみがたい哀愁をよび起すこれらの川のながめは、いかに自分の幼い心を、その岸に立つ楊柳の葉のごとく、おののかせたことであろう。・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・保吉はふと地球の外の宇宙的寒冷を想像しながら、赤あかと熱した石炭に何か同情に近いものを感じた。「堀川君。」 保吉はストオヴの前に立った宮本と云う理学士の顔を見上げた。近眼鏡をかけた宮本はズボンのポケットへ手を入れたまま、口髭の薄い唇・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・ 私はこう言いながら、両手のカフスをまくり上げて、暖炉の中に燃え盛っている石炭を、無造作に掌の上へすくい上げました。私を囲んでいた友人たちは、これだけでも、もう荒胆を挫がれたのでしょう。皆顔を見合せながらうっかり側へ寄って火傷でもしては・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・ お妻は石炭屑で黒くなり、枝炭のごとく、煤けた姑獲鳥のありさまで、おはぐろ溝の暗夜に立ち、刎橋をしょんぼりと、嬰児を抱いて小浜屋へ立帰る。……と、場所がよくない、そこらの口の悪いのが、日光がえりを、美術の淵源地、荘厳の廚子から影向した、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・すると、ちょうど、汽車の汽罐車に石炭をいれたように、体じゅうがあたたまって、急に元気が出てきたのであります。 吉雄は、学校へゆく前には、かならず、かわいがって飼っておいたやまがらに、餌をやり、水をやることを怠りませんでした。 夜の中・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
・・・ 毎日、毎日、私は、いやというほど、石炭を腹に入れます。もはや寒い、ひもじい思いなんかというものは、夢にも忘れられたような気がします。そして、私は、どんな寒い日でも、暖かに、風や、雨と戦うことができるのです。人々は、私の働きと力とをはじ・・・ 小川未明 「煙突と柳」
・・・どこかの山から伐り出されたのであろう、材木や掘り出された石炭や、その他いろいろなものがいっぱいに載せられていました。その中の、一つの箱だけは、扉がひとところ開いていました。そして、その中には、黒い鉄のがっしりしたかごの中に、一頭の大きなくま・・・ 小川未明 「汽車の中のくまと鶏」
・・・そりゃ三文渡しの船頭も船乗りなりゃ川蒸気の石炭焚きも船乗りだが、そのかわりまた汽船の船長だって軍艦の士官だってやっぱり船乗りじゃねえか。金さんの話で見りゃなかなか大したものだ、いわば世界中の海を跨にかけた男らしい為事で、端月給を取って上役に・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・家のすぐ傍を石炭や礦石を運ぶ電車が、夜昼のかまいなく激しい音を立てて運転していた。丈の低い笹と薄のほかには生ええない周囲の山々には、雪も厚くは積もれなかった。そこらじゅうが赭く堀返されていた。「母さんはいつ来るの?」「もう少しすると・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・薪問屋は、石炭問屋に変り、鶏買いは豚買いに変った。それでうまいことをやった。いつまでも、薪問屋ばかりをやっている人間は、しまいには山の樹がなくなって、商売をやめなければならなくなっていた。薪問屋は、中間搾取をやる商売だ。しかし、そこからさえ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
出典:青空文庫