・・・ しのびで、裏町の軒へ寄ると、破屋を包む霧寒く、松韻颯々として、白衣の巫女が口ずさんだ。「ほのぼのと……」 太守は門口を衝と引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あの輩の教化は、士分にまで及ぶであろうか・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 窓からは線路に沿った家々の内部が見えた。破屋というのではないが、とりわけて見ようというような立派な家では勿論なかった。しかし人の家の内部というものにはなにか心惹かれる風情といったようなものが感じられる。窓から外を眺め勝ちな自分は、ある・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・お夏を跳ね飛ばし泣けるなら泣けと悪ッぽく出たのが直打となりそれまで拝見すれば女冥加と手の内見えたの格をもってむずかしいところへ理をつけたも実は敵を木戸近く引き入れさんざんじらしぬいた上のにわかの首尾千破屋を学んだ秋子の流眄に俊雄はすこぶる勢・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・臨むに諸侯の威をもってし招くに春岳の才をもってし、しこうして一曙覧をして破屋竹笋の間より起たしむるあたわざりしもの何がゆえぞ。謙遜か、傲慢か、はた彼の国体論は妄に仕うるを欲せざりしか。いずれにもせよ彼は依然として饅頭焼豆腐の境涯を離れざりし・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・川岸に数軒ひどい破屋があって、一軒では往来から手の届く板の間に黄色い泥のようなもので拵えた恵比寿がいくつも乾してあった。「――ひどい路だな」 なほ子は黙って歩いた。彼女にとってこの路は始めてではなかった。数年前、今は別れた夫とこの道・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
出典:青空文庫