・・・然も互いに妻子を持てる一ぱしの人間であるのに、磊落と云えば磊落とも云えるが、岡村は決して磊落な質の男ではない。それにしても岡村の家は立派な士族で、此地にあっても上流の地位に居ると聞いてる。こんな調子で土地の者とも交際して居るのかしらなど考え・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・と渋柿園老人は例の磊落な調子で、「島田の奴が馬を引張って来たので、仕方がないから有合いのものを典じて始末をつけたが、その穴埋をしなけりゃならん。そこで島田が或る本屋を口説いたところが、数学の本を書いてくれるなら金を出そうというので、それから・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・が、それはまたそれで丁度そういう調子合のことの好きな磊落な人が、ボラ釣は豪爽で好いなどと賞美する釣であります。が、話中の人はそんな釣はしませぬ。ケイズ釣りというのはそういうのと違いまして、その時分、江戸の前の魚はずっと大川へ奥深く入りました・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・馬場裏を一つ驚かしてくれようと言ったような学士等の紅い磊落な顔がその灯に映った。二人とも脚絆に草履掛という服装だ。「これ、水でも進げナ」 と、高瀬が妻に吟附けた。 お島はやや安心して、勝手口のほうから水を持って来た。学士は身体の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・北村君自身の言葉を借りて云えば、不覊磊落な性質は父から受け、甚だしい神経質と、強い功名心とは母から受けた。斯ういう気風は少年の時からあって、それが非常にやかましい祖父の下に育てられ、祖母は又自分に対する愛情が薄かったという風で、後に成って気・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・幼い頃から世の辛酸を嘗めて来た人に特有の、磊落のように見えながらも、その笑顔には、どこか卑屈な気弱い影のある、あの、はにかむような笑顔でもって、お傍の私たちにまでいちいち叮嚀にお辞儀をお返しなさるのでした。無理に明るく無邪気に振舞おうと努め・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・「必ず魂魄だけは御傍へ行って、もう一遍御目に懸りますと云った時に、亭主は軍人で磊落な気性だから笑いながら、よろしい、いつでも来なさい、戦さの見物をさしてやるからと云ったぎり満州へ渡ったんだがね。その後そんな事はまるで忘れてしまっていっこ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・内心にこれを愧じて外面に傲慢なる色を装い、磊落なるが如く無頓着なるが如くにして、強いて自ら慰むるのみなれども、俗にいわゆる疵持つ身にして、常に悠々として安心するを得ず。その家人と共に一家に眠食して団欒たる最中にも、時として禁句に触れらるるこ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・と書きしことさえ思い出されてなつかし、蕪村の磊落にして法度に拘泥せざりしことこの類なり。彼は俳人が家集を出版することをさえ厭えり。彼の心性高潔にして些の俗気なきこともって見るべし。しかれども余は磊落高潔なる蕪村を尊敬すると同時に、小心ならざ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫