・・・しかもこの一手は、我の強気を去らなくては良い将棋は指せないという坂田一流の将棋観にもとづいたものでありながら、一方これくらい坂田の我を示す手はないのである。いわば坂田の将棋を見てくれという自信を凝り固めた頑固なまでに我の強い手であったのだ。・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・手の燐寸を示すようにして。「落し物でしたら燐寸がありますよ」 次にはそう言うつもりだったのです。しかし落し物ではなさそうだと悟った以上、この言葉はその人影に話しかける私の手段に過ぎませんでした。 最初の言葉でその人は私の方を振り・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・得たりとばかり膝を進めて取り出し示す草案の写しを、手に持ちながら舌は軽く、三好さん、これですが、しかしこれには褒美がつきますぜ。 善平は一も二もなく、心は半ば草案に奪われて、はいはい、それはもう何なりとも。 ほかではありませぬ。とに・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・この遠く幽かなる空色は夏のすでに近きを示すがごとく思われぬ。されど空気は重く湿り、茂り合う葉桜の陰を忍びにかよう風の音は秋に異ならず、木立ちの夕闇は頭うなだれて影のごとく歩む人の類を心まつさまなり。ああこのごろ、年若き男の嘆息つきてこの木立・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・極端な束縛とヒステリーとは夫の人物を小さくし、その羽翼をぐばかりでなく、また男性に対する目と趣味との洗練されてないことを示すものに外ならない。 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 二年、三年、田舎の生活に年期を入れてくるに従って、東京から送られる郵便物や、雑誌の数がすくなくなって、その郵便物の減りかげんは、田舎への埋れようの程度を示す。自分がここにいるということを人に知られずに、垣間から舞台をのぞき見するのはこ・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・と、それほど立入った細かい筋路がある訳では無いが、何となく和楽の満足を示すようなものが見える。その別に取立てて云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内であり、半身であると無意・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ 左らば世人が其を忌わしく恐るべしとするのは何故ぞや、言う迄もなく死刑に処せられるのは必ず極悪の人、重罪の人たることを示す者だと信ずるが故であろう、死刑に処せらるる程の極悪・重罪の人たることは、家門の汚れ、末代の恥辱、親戚・朋友の頬汚し・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ こんなにおげんの激し易くなったことは、酷く弟達を驚かしたかわりに、姉としての威厳を示す役にも立った。弟達が彼女のためにいろいろと相談に乗ってくれるように成ったのも、それからであった。彼女はまた何時の間にか一時の怒りを忘れて行った。・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・いいとしをして思慮分別も在りげな男が、内実は、中学生みたいな甘い咏歎にひたっていることもあるのだし、たかが女学生の生意気なのに惹かれて、家も地位も投げ出し、狂乱の姿態を示すことだってあるのです。それは、日本でも、西欧でも同じことであるのです・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫