・・・ 妙子は何度も心の中に、熱心に祈りを続けました。しかし睡気はおいおいと、強くなって来るばかりです。と同時に妙子の耳には、丁度銅鑼でも鳴らすような、得体の知れない音楽の声が、かすかに伝わり始めました。これはいつでもアグニの神が、空から降り・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・とを、マグダラのマリヤに憑きまとった七つの悪鬼を逐われたことを、死んだラザルを活かされたことを、水の上を歩かれたことを、驢馬の背にジェルサレムへ入られたことを、悲しい最後の夕餉のことを、橄欖の園のおん祈りのことを、……… 神父の声は神の・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・ クララは取りすがるように祈りに祈った。眼をあけると間近かにアグネスの眠った顔があった。クララを姉とも親とも慕う無邪気な、素直な、天使のように浄らかなアグネス。クララがこの二、三日ややともすると眼に涙をためているのを見て、自分も一緒に涙・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現代の悪制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、諸君の精神と生活とが、自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果になるようにと祈ります。・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・ 人の死ぬのを祈りながら、あとあとの楽みを思うている、そんな太い奴があるもんか。 吾はきっと許さんぞ。 そうそう好なまねをお前にされて、吾も男だ、指を啣えて死にはしない。 といつも思っていたんだが、もうこの肺病には勝たれない・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・むかし、魔法を使うように、よく祈りのきいた、美しい巫女がそこに居て、それが使った狢だとも言うんですがね。」 あなたは知らないのか、と声さえ憚ってお町が言った。――この乾物屋と直角に向合って、蓮根の問屋がある。土間を広々と取り、奥を深く、・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・そして、海の方をながめて、祈りました。「どうか、あのなつかしいバイオリンが、私の手にもどってきますように。」と、祈りました。 空を鳴きながら飛んでいるつばめは、彼のいうことを聞きました。そして、この憐れな少年に同情するごとく、くびを・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・ 女は、仏さまに、どうかあの世へとどこおりなくいけるようにと祈りました。そして、ついに目を閉じるときがきました。 女は、この世を去ったのです。けれど、霊魂は女の念じたように、あの世へゆく旅に上りました。 女は、長い道を歩きました・・・ 小川未明 「ちょうと三つの石」
・・・の亭主がまかり間違っても白いダブルの背広に赤いネクタイ、胸に青いハンカチ、そしてリーゼント型に髪をわけたような男でないことをしきりに祈りながら、赤い煉瓦づくりの自安寺の裏門を出ると、何とそこは「いろは牛肉店」の横丁であった。「市丸」という小・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・即ちモーデの祈りを意味する言葉を除けばすべて「キャッキャッ」を基本にして作られている、「キャッキャッ」という言葉は実に人間生活の万能語であって、人間が生れる時の「オギャアッ」という言葉も人間が断末魔に発する「ギャッ」という言葉も、すべてみな・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫