・・・せまくるしい文壇文学・私小説の枠をやぶって発展したいという文学者自身の要求にそくして云われているかのようにみえるところさえあった。そのことはまた、大衆の生活と全く遊離してしまっている「文士」の生活、「文学」の内容などにいつもあきたりないでい・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・二つの作品には自然発生的な萌芽として、新しい日本の人民生活の文学の端緒と、現代文学が私小説から脱却してゆく可能の方向及びこれからの日本文学が実質的に世界文学の領野に参加し、そこでになってゆくべき現実の性格などについて、示唆をふくんでいる。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
・・・久しい間、現代文学の課題となって来た「私小説」からの脱却、伝統的な主情性の克服の可能も、文学が人民のリアリスティックな発展の可能性とそのための多種多様な行為とともにあってはじめて見出されるのである、と。この場合、国際的なプロレタリア文学運動・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・ 過去の文学は、いまから六年ほど前「私小説」の崩壊がいわれはじめた時、死に瀕していたのであった。 刻々とすさまじく推移せる世界と国内社会の動きを直感して、おそらくはあらゆる作家が、自分の存在について再認識を求められてきた。戦争は文化・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・ この事実のうちには、複雑なものがこもっている。私小説、身辺小説からよりひろい客観的な社会性のある小説への要求が起った時代、ひきつづく事変によって変化した世相が文学のその課題の解決を歪めてずるりずるりと生産文学へひきずりこんだ。それと同・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
・・・はげしい前線の生活も経験して来た壮年の一部の作家たちが、戦後日本の錯雑した現実に面して、過去の私小説的なリアリズムの限界の内にとどまっているにたえないのは必然である。日本の社会現実を全面的にすくい上げようとして彼ら一部の作家たちは新しい投げ・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・ちかごろあらわれる実名小説というものも、そこにどういう理窟がつけられようとも、日本の現実におけるそれらの作品の大部分は、私小説から一層文学としての努力をぬきにしてそれを裏がえしたものにすぎない。現代文学の方法が、そのようなタコ壺にはまったと・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・ 私小説を否定しながら、純文学を語るこれらの人々は、広津和郎の「ひさとその女友達」に対する林房雄の評を見てもわかるように、政治臭をきらうことで共通している。中間小説が、社会小説であり得ないこの派の作家たちの本質に立って。 しかしなが・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・中野さんが誰かに、もう当分私小説はおやめだ、と云ったというようなことを聞いたが、私小説をやめるということが、この頃文壇の一部で云われているような文学の通俗化の方向をとらず、中野さんの小説で、この作品のような方向にあらわれて来たことに、一般が・・・ 宮本百合子 「鼓舞さるべき仕事」
・・・この対策として、作家が文学青年を目あてにして書いたような過去の「私小説」をやめ、大いに社会性のある、大衆にとっても面白い小説を書かねばならないという意見が出されている。林房雄氏はその具体案として「大人の文学」を提案し、真面目な作家は現代の官・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
出典:青空文庫