・・・が、年若な求馬の心は、編笠に憔れた顔を隠して、秋晴れの日本橋を渡る時でも、結局彼等の敵打は徒労に終ってしまいそうな寂しさに沈み勝ちであった。 その内に筑波颪しがだんだん寒さを加え出すと、求馬は風邪が元になって、時々熱が昂ぶるようになった・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・可也長い葬列はいつも秋晴れの東京の町をしずしずと練っているのである。 僕の母の命日は十一月二十八日である。又戒名は帰命院妙乗日進大姉である。僕はその癖僕の実父の命日や戒名を覚えていない。それは多分十一の僕には命日や戒名を覚えることも誇り・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・ 尤もなかなかの悪戯もので、逗子の三太郎……その目白鳥――がお茶の子だから雀の口真似をした所為でもあるまいが、日向の縁に出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。秋晴の或日、裏庭の茅葺小屋の風呂の廂へ、向うへ桜山を見せて掛け・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 銀座の方へ廻ると言って電車に乗った芳本と別れて、耕吉は風呂敷包を右に左に持替えて、麹町の通りを四谷見附まで歩いた。秋晴の好天気で、街にはもう御大典の装飾ができかかっていた。最後の希望は直入と蕃山の二本にかかった。 そこの大きな骨董・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・田舎は秋晴拭うが如く、校長細川繁の庭では姉様冠の花嫁中腰になって張物をしている。 さて富岡先生は十一月の末終にこの世を辞して何国は名物男一人を失なった。東京の大新聞二三種に黒枠二十行ばかりの大きな広告が出て門人高山文輔、親戚細川繁、友人・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ きょうは秋晴れである。窓外の風景は、新潟地方と少しも変りは無かった。植物の緑は、淡い。山が低い。樹木は小さく、ひねくれている。うすら寒い田舎道。娘さんたちは長い吊鐘マントを着て歩いている。村々は、素知らぬ振りして、ちゃっかり生活を営ん・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・きょうのように、こんなに寒い日ではなかった。秋晴れの日で、病院の庭には、未だコスモスが咲き残っていた。あのころの事は、これから五、六年経って、もすこし落ちつけるようになったら、たんねんに、ゆっくり書いてみるつもりである。「人間失格」という題・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・ 一箇月そこで暮して、秋晴れの日の午後、やっと退院を許された。私は、迎えに来ていたHと二人で自動車に乗った。 一箇月振りで逢ったわけだが、二人とも、黙っていた。自動車が走り出して、しばらくしてからHが口を開いた。「もう薬は、やめ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・この地方に於いて、それがもう最後の秋晴れであった。あとはもう、陰鬱な曇天つづきで木枯しの風ばかり吹きすさぶ。「実はね、」と医師はへんな微笑を浮べ、「配給のリンゴ酒が二本ありましてね、僕は飲まないのですが、君に一つ召上っていただいて、ゆっ・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・それだから、カメラをさげて秋晴れの郊外を歩いている人たちはおそらく幾平方センチメートルの紙片の中に全武蔵野の秋を圧縮して持って来るつもりで歩いているのであろう。少なくも自分の場合には何枚かの六×九センチメートルのコダック・フィルムの中に一九・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
出典:青空文庫