・・・ それは美しい秋晴の日であったが、ちょうど招魂社の祭礼か何かの当日で、牛込見附のあたりも人出が多く、何となしにうららかに賑わっていた。会場の入口には自動車や人力が群がって、西洋人や、立派な服装をした人達が流れ込んでいた。玄関から狭い廊下・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 翌朝港内をこめていた霧が上がると秋晴れの日がじりじりと照りつけた。電車で街を縦走して、とある辻から山腹の方へ広い坂道を上がって行くと、行き止まりに新築の大神宮の社がある。子守が遊んでいる。港内の眺めが美しい。この山の頂上へ登られたら更・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ 翌朝港内をこめていた霧が上がると秋晴れの日がじりじりと照りつけた。電車で街を縦走して、とある辻から山腹の方へ広い坂道を上がって行くと、行き止まりに新築の大神宮の社がある。子守が遊んでいる。港内の眺めが美しい。この山の頂上へ登られたら更・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・の曲がった脊柱のごとくヘテロドックスなこの老学者がねずみの巣のような研究室の片すみに、安物の籐椅子にもたれてうとうととこんな夢を見ているであろう間に、容赦なく押し寄せる野球時代の波の音は、どこともない秋晴れの空の果てから聞こえてくるであろう・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・ 三 書店の二階の食堂で昼飯を食いながら、窓ガラス越しに秋晴れの空をながめていた。遠くの大きな銀行ビルディングの屋上に若い男が二人、昼休みと見えてブラブラしている。その一人はワイシャツ一つになって体操をしてみたり・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・そのころそのあたりに頻と新築せられる洋室付の貸家の庭に、垣よりも高くのびたコスモスが見事に花をさかせているのと、下町の女のあまり着ないメレンス染の着物が、秋晴れの日向に干されたりしているのを見る時、何となく目あたらしく、いかにも郊外の生活ら・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・今ごろ備中総社の町の人たちは裏山の茸狩に、秋晴の日の短きを歎いているにちがいない。三門の町を流れる溝川の水も物洗うには、もう冷たくなり過ぎているであろう。 待つ心は日を重ね月を経るに従って、郷愁に等しき哀愁を醸す。郷愁ほど情緒の美しきも・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ 昭和の日本人は秋晴れの日、山に遊ぶことを言うにハイキングとやら称する亜米利加語を用いているが、わたくしの如き頑民に言わせると、古来慣用せられた登高の一語で足りている。 その年陰暦九月十三夜が陽暦のいつの日に当っていたか、わたくしは・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・五月と秋晴れの一ヵ月の午前だけとられたそうだ。建物も整然、子供らも整然。整然。すべてこれ優等児製造はかくの如き文化性から生み出されるかという印象を与える雰囲気、画面の所謂芸術写真風な印画美であるが、私たち数人の観衆はこの文化映画として紹介さ・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・君の内の親玉なんぞは、秋晴とかなんとか云うのだろう。尤もセゾンはもう冬かも知れないが、過渡時代には、冬の日になったり、秋の日になったりするのだ。きょうはまだ秋だとして置くね。どこか底の方に、ぴりっとした冬の分子が潜んでいて、夕日が沈み掛かっ・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫