・・・ むかし、秋田何代かの太守が郊外に逍遥した。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が領分に口寄の巫女があると聞く、いまだ試みた事がない。それ・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・二 翌朝彼は本線から私線の軽便鉄道に乗替えて、秋田のある鉱山町で商売をしている弟の惣治を訪ねた。そして四五日逗留していた。この弟夫婦の処に、昨年の秋から、彼の総領の七つになるのが引取られているのであった。 惣治はこれまで・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・平林たい子、金子洋文にも、それ/″\信州、秋田の農民を描いて、は握のたしかさを示したものがある。死んだ山本勝治には、階級闘争の中に生長した青年らしい新しさが幾分か作品の中に生かされようとしていた。 しかし、これらの作家によって、現在まで・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・「君は秋田の生れだと云ったな。僕もそうだよ。これも何んかのめぐり合せだろう。僕から云うのも変だが、何よりまア身体を丈夫にしてい給え。」 ずんぐりした方が一寸テレて、帽子の縁に手をやった。 ごじゃ/\と書類の積まさった沢山の机を越・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・とか、「秋田」とか、「盛岡」とか――自分達の国の言葉をきゝたいのだ、自分ではしかし行けないところの。そしてまたそれだけの金を持つており、自由に切符が買えて、そこへ帰つて行く人達の顔を見たいからなのだ。――私は、その人達が改札を出たり、入つた・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・三昼夜かかって、やっと秋田県の東能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。「海は、海の見えるのは、どちら側です。」 私はまず車掌に尋ねる。この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐っ・・・ 太宰治 「海」
・・・なお、この事、既に貴下のお耳に這入っているかも知れませんが、英雄文学社の秋田さんのおっしゃるところに依れば、先々月の所謂新人四名の作品のうち、貴下のが一番評判がよかったので、またこの次に依頼することになっているという話です。私は商人のくせに・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・「新宿の秋田、ご存じでしょう! あそこでね、今夜、さいごのサーヴィスがあるそうです。まいりましょう。」 その前夜、東京に夜間の焼夷弾の大空襲があって、丸山君は、忠臣蔵の討入のような、ものものしい刺子の火事場装束で、私を誘いにやって来・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・だろうと思われ、とても親子四人がその中へ割り込める自信は無かったし、方向をかえて、小牛田から日本海のほうに抜け、つまり小牛田から陸羽線に乗りかえて山形県の新庄に出て、それから奥羽線に乗りかえて北上し、秋田を過ぎ東能代駅で下車し、そこから五能・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・秋田家いなごまろうるさく出てとぶ秋のひよりよろこび人豆を打つ酉(詠十二時夕貌の花しらじらと咲めぐる賤が伏屋に馬洗ひをり松戸にて口よりいづるままにふくろふの糊すりおけと呼ぶ声・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫