・・・それから引きかえして、秋田から横手へと志した。その途中で大曲で一泊して六郷を通り過ぎた時に、道の左傍に平和街道へ出る近道が出来たという事が棒杭に書てあった。近道が出来たのならば横手へ廻る必要もないから、この近道を行って見ようと思うて、左へ這・・・ 正岡子規 「くだもの」
用事があって、岩手県の盛岡と秋田市とへ数日出かけた。帰途は新潟まわりの汽車で上野へついた。 秋田へ行ったのもはじめてであったし、山形から新潟を通ったのもはじめてであった。夏も末に近い日本海の眺めは美しくて、私をおどろか・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・待合室の床の上にカタカタと高く下駄の音をたてて歩きながら小林は大きい声で秋田訛を響かせつつ何か話していた。 大阪と京都との講演会の間、稲子さんと私とは或る友人の家に泊った。大阪ではひどい雨に会って、天王寺の会場へゆく道々傘をもたない私共・・・ 宮本百合子 「窪川稲子のこと」
・・・そうでないとしたら、社会主義者で芸術家である秋田雨雀さんが、大劇場の桜の園を観た一九二八年に漸く、ロパーヒンは悪人じゃありませんねえ、という興味ある評言を発されるようなことがどうして起ろう。築地はそんなに下手に演じたか? 否。例えば汐見の爺・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・ロマンティックな傾向に立って文学的歩み出しをしていた藤森成吉、秋田雨雀、小川未明等の若い作家たちは、新たに起ったこの文学的潮流に身を投じ、従来の作家の生い立ちとは全くちがった生活の閲歴を持った前田河広一郎、中西伊之助、宮地嘉六等の作家たちと・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 今からほぼ十年ほど前に、慶応の国文科をで、葛西善蔵、宇野浩二らに私淑し、現在では秋田県の女学校教師であるこの作家の特徴は、非常に色彩のつよい、芝居絵のような太い線で、ある意味での誇張とげてものの味をふりまきながら、身振り大きく泣き笑い・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・そこへ、革命十周年記念祭のお客で日本から来ていた米川正夫、秋田雨雀をはじめ、自分も並んで、順ぐりに短い話をした。キムという、日本語の達者な朝鮮人の東洋語学校の教授が、通訳だ。話すものはテーブルに向って演壇の上で椅子にかけて話す。わきで、大き・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・八月、岩手、秋田地方へ朝日主催の自由大学講師として宮本と二人で出席した。九月、四国地方の党会議に出席をかねて旅行した。この年は文化、生産の各場面に民主化のための闘争が起って、十月から十二月のはじめまで、もっとも高い波であった。年・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・それが松田解子であった。秋田の鉱山に生い立った彼女は、プロレタリア文学運動の時代、婦人作家として一定の成長をとげた技量を、現在の多面な民主的政治的活動のうちに結実させようとしている小説「尾」そのほか多くのルポルタージュ、民主主義文学について・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・ 秋田の方の故郷で暮している鈴木清というプロレタリア作家の『進歩』に発表された通信は、東京の愛国婦人会や何かが、まるで農民が道徳をさえわきまえぬ者で娘を売るように口やかましくほんの一部の身売り防止事業などに世人の注意をあつめ、窮乏の真の・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
出典:青空文庫