・・・「温度の異なる二つの物体を互に接触せしめるとだね、熱は高温度の物体から低温度の物体へ、両者の温度の等しくなるまで、ずっと移動をつづけるんだ。」「当り前じゃないか、そんなことは?」「それを伝熱作用の法則と云うんだよ。さて女を物体と・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・のものと同じでいいだろうか、新時代の光を浴びようとしつつある、また浴びなければならないそれらの子供に対し、労働者に対し、少女に対して与えるものは、今迄のそれでいいだろうか、今日の詩人はもっと詩の王国が移動したことに対して覚醒しなければならな・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・によって、近代劇的な額縁の中で書かれていた近代小説に、花道をつけ、廻り舞台をつけ、しかもそれを劇と見せかけて、実はカメラを移動させれば、観客席も同時にうつる劇中劇映画であり、おまけにカメラを動かしている作者が舞台で役者と共に演じている作者と・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・兵卒達は、パルチザンの出没や、鉄橋の破壊や、駐屯部隊の移動など、次から次へその注意を奪われて、老人のことは、間もなく忘れてしまった。 丘の病院からは、谷間の白樺と、小山になった穴のあとが眺められた。小川が静かに流れていた。栗島は、時々、・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・鉱車は、地底に這っている二本のレールを伝って、きし/\軋りながら移動した。 窮屈な坑道の荒い岩の肌から水滴がしたゝり落ちている。市三は、刀で斬られるように頸すじを脅かされつゝ奥へ進んだ。彼は親爺に代って運搬夫になった。そして、細い、たゆ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・そっと自分のからだを崖のふちまで移動させて、兵古帯をほどき、首に巻きつけ、その端を桑に似た幹にしばり、眠ると同時に崖から滑り落ちて、そうしてくびれて死ぬる、そんな仕掛けにして置いた。まえから、そのために崖のうえのこの草原を、とくに選定したの・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・波紋が流れにしたがって一間ほど川下のほうへ移動してから波紋のまんなかに片手がひょいと出た。こぶしをきつく握っていた。すぐひっこんだ。波紋は崩れながら流れた。三郎はそれを見とどけてしまってから、大声をたてて泣き叫んだ。人々は集り、三郎の泣き泣・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・一方ではまた白の母鳥と十羽のひなとが別の一群を形づくって移動している。そうしてこの二群の間には常に若干の「尊敬の間隔」が厳守せられているかのように見えていた。ところがある日その神聖な規律を根底から破棄するような椿事の起こったのを偶然な機会で・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・そうしてカメラの対物鏡は観客の目の代理者となって自由自在に空間中を移動し、任意な距離から任意な視角で、なおその上に任意な視野の広さの制限を加えて対象を観察しこれを再現する。従って観客はもはや傍観者ではなくてみずからその場面の中に侵入し没入し・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・蝗は何を目的として何物に導かれてどこからどこへ移動するか。世界は自分らのためにのみできているとばかり思っているわれわれ愚かな人間は茫然としてテントの小窓からこの恐ろしい生命のあらしをながめてため息をつくであろう。 湖畔のフラミンゴーの大・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫