・・・そして伊吹の見える特別な日が、事によると北西風の吹かないわりにあたたかく穏やかな日にでも相当するので、そういう日に久々で戸外にでも出て伊吹山を遠望し、きょうは伊吹が見える、と思うのではないかとまで想像される。そうするとまたこの「冬ごもり」の・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・道や教えを宣べ伝えるという事は、取りようではたいへん穏やかな仕事のように思われる。しかし同じ事でもプロパガンダというとなんだか少し穏やかでないような気持ちがする。これは単にこの言葉の特殊の音響から来る感じなのかもしれない。 一般的に宣伝・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・そうしてその多くの人々に代わって、先生につつがなき航海と、穏やかな余生とを、心から祈るのである。 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
○この頃は痛さで身動きも出来ず煩悶の余り精神も常に穏やかならんので、毎日二、三服の痲痺剤を飲んで、それでようよう暫時の痲痺的愉快を取って居るような次第である。考え事などは少しも出来ず、新聞をよんでも頭脳が乱れて来るという始末で、書くこと・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・其上いつもなら枕元に椅子を引きよせて、五月蠅いほど何か喋ったり笑ったりする彼女―― Chatterbox が、自分の部屋に引こんだきりことりともさせないのは穏やかでない。 部屋はがらんと広く、明るく無人島のような感じを与えた。彼は暫く、・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ ゴールスワアジーらしい穏やかさを湛えながら、ほんとの人間性のきよらかさ、まじりけない行為を圧殺しているイギリスの型にはまったモラル、純潔についての偏見に抗議している。 D・H・ローレンスも、純潔についてのキリスト教会的偏見に対して・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ああ、わが愛らしい原稿紙いつも、お前の 懐しい乳白色の面の上に穏やかに遮られた北の日光を漂わせよ夜は、麗わしい台ランプの穏密な緑色のかげを落してわれとともにうたい、なげき、悦びにおどれ。愛らしい 愛ら・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ けれどもこの穏やかさは、視覚に集中した心が聴覚の方へ中心を移す一つの中間状態に過ぎない。僧侶たちが、仏を礼讃する心持ちにあふれながら読誦するありがたいお経は、再び徐々に、しかし底力強く、彼らの血を湧き立たせないではおかないのである。彼・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・しかしそれは穏やかな、またなだらかな形の土手であって、必ずしも偉大さ力強さを印象するものではなかった。しかるに今この門外に立って見ると、大正昭和の日本を記念する巨大な議事堂が丘の上から見おろしている。そうして間近には警視庁の大建築がそそり立・・・ 和辻哲郎 「城」
・・・ 木曜会で接した漱石は、良識に富んだ、穏やかな、円熟した紳士であった。癇癪を起こしたり、気ちがいじみたことをするようなところは、全然見えなかった。諧謔で相手の言い草をひっくり返すというような機鋒はなかなか鋭かったが、しかし相手の痛い・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫