・・・われわれの家庭から前線におくられて死んだ一〇五万の軍人たち。空襲その他で死んだ三三万余の市民男女。そして今日生活の荒波にもまれている八〇〇余万の戦災者。夥しい引揚者と復員者。六〇万人以上の未亡人と一二万人の孤児と六〇万の戦争による不具者とが・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
東京に対する空襲ということが段々まじめに考えられるようになってから、うちではよく夕飯後に東京地図をもち出した。その頃もうわたしは目白の家をひきあげて友人がそこに住み、本郷の弟の家に暮しはじめていた。 弟の一家は三人の子・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・日本全土に空襲の恐怖と疎開さわぎがはじまった。七月サイパン島で全員戦死の発表が行われ、侵略戦争の現実の姿がむき出されはじめた。この月に東條内閣は辞職して小磯、米内の協力内閣ができた。この年のはじめ国民総動員が行われ十七歳以上を兵役に編入・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ その初夏、空襲の間に会ったとき、牧子はやつれて不安な眼つきをしていた。埼玉でもその町は安全と云えず、食糧の事情もむずかしかった。牧子の不安は、そういう日常だのに、そこの会社づとめをしている瀬川泰二が、戦争も最後の段階にさしかかっている・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・しかもたった一遍しかない命を私どもはあれだけ怖い空襲などでやっと拾って来ているのです。しかもいまのように食えないとき随分骨を折って食べて生活しています。この命は値打が高い。決して一遍きり、スフみたいに使ったら棄てるなんて命じゃない、繰返し繰・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・ 今度の本片づけには、全く歴史のきつい波翳がさしていて、私は空襲の場合を屡々思いやった。 震災の時は、災難をのがれた。これらの本たちは、そこにまつわる生活の思い出とともに、これから先は何年、平安にその頁を黄ばませて行けるのだろうか。・・・ 宮本百合子 「本棚」
・・・ 日本の人々の生活にとって、この一二年の間にラジオの位置は、徹底的に変化した。空襲以来、すべての人は、ラジオが生活の必需品であり、それは米と一緒に守らなければならないものとして理解するようになった。一つは、報道が人々の生命の安全に直接関・・・ 宮本百合子 「みのりを豊かに」
・・・勝つ迄は、と言われて、正直な日本の女性は自分の命までも犠牲に捧げたのであった。空襲によって、職場の傷害によって命を落した学徒や勤労婦人の数は決して少くない。不熟練でしかも熱心に長時間機械の前に立った時、職場の災害は非常に増大するのが当然であ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・しかし、戦局は全面的に日本の敗色に傾いている空襲直前の、新緑のころである。噂にしても、誰も明るい噂に餓えかつえているときだった。細やかな人情家の高田のひき緊った喜びは、勿論梶をも揺り動かした。「どんな武器ですかね。」「さア、それは大・・・ 横光利一 「微笑」
・・・戦争の最後の年、空襲がようやく激甚となってくるころに、先生は、病を押して災禍を信州に避けられた。その後東京の町は激しく破壊され、先生が大震災後住みついていられたお宅も、愛蔵された書籍や書画や骨董とともに焼けてしまった。それのみか、戦いの終わ・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫