・・・何事も独りで噛みしめてみる私の性質として、表面には十人並みな生活を生活していながら、私の心はややともすると突き上げて来る不安にいらいらさせられた。ある時は結婚を悔いた。ある時はお前たちの誕生を悪んだ。何故自分の生活の旗色をもっと鮮明にしない・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・そう言い乍ら突き上げたパナマ帽子のように、簡単に私の痛い所を突いて来た。「いや、若さがないのが僕の逆説的な若さですよ。――僕にもビール、あ、それで結構」「青春の逆説というわけ……?」発売禁止になった私の著書の題は「青春の逆説」だった・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 彼は、片方の腕を通しさしで、手を天井に突き上げたまま、テーブルに近づいた。「お前のもんじゃないよ。」 顔の細長いメリケン兵が横から英語で口を出した。も一人の方は、大きな手で束から二三枚を抜いてロシア人にやっていた。その手つきが・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・嫂はのどもとへ突き上げて来るものを吐き出してしまおうと、しきりにあせっていた。が、どうしても、出そうとするものがすっかり出ないで、さい/\生唾を蜜柑の皮の上へ吐きすてた。 彼女は、もう、すべっこくも、美しくもなくなっていた。彼女は、何故・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・わちラストヘビーというもののつもりなのでしょう、両手の指の股を蛙の手のようにひろげ、空気を掻き分けて進むというような奇妙な腕の振り工合で、そうしてまっぱだかにパンツ一つ、もちろん裸足で、大きい胸を高く突き上げ、苦悶の表情よろしく首をそらして・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・けれども痒さは、波のうねりのようで、もりあがっては崩れ、もりあがっては崩れ、果しなく鈍く蛇動し、蠢動するばかりで、苦しさが、ぎりぎり結着の頂点まで突き上げてしまう様なことは決してないので、気を失うこともできず、もちろん痒さで死ぬなんてことも・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・其暑い頂点を過ぎて日が稍斜になりかけた頃、俗に三把稲と称する西北の空から怪獣の頭の如き黒雲がむらむらと村の林の極から突き上げて来た。三把稲というのは其方向から雷鳴を聞くと稲三把刈る間に夕立になるといわれて居るのである。雲は太く且つ広く空を掩・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 蠍も怒って大きなからだをすばやくひねって尾の鉤を空に突き上げました。大烏は飛びあがってそれを避け今度はくちばしを槍のようにしてまっすぐに蠍の頭をめがけて落ちて来ました。 チュンセ童子もポウセ童子もとめるすきがありません。蠍は頭に深・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・そこで磚を除けて、突き上げになっている障子を内へ押せば好いわけだ。ところがその磚がひどくぞんざいに、疎に積んであって、十ばかりも卸してしまえば、窓が開きそうだ。小川君は磚を卸し始めた。その時物音がぴったりと息んだそうだ。」 小川は諦念め・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・ペルシャの鹿の模様は暫く緞帳の襞の上で、中から突き上げられる度毎に脹れ上って揺れていた。「陛下、お気をお鎮めなさりませ。私はジョセフィヌさまへお告げ申すでございましょう」 緞帳の間から逞しい一本の手が延びると、床の上にはみ出ていた枕・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫