・・・彼女は鴇婦と立ち話をした後、含芳の隣に腰を下ろした。 譚は玉蘭の来たのを見ると、又僕をそっちのけに彼女に愛嬌をふりまき出した。彼女は外光に眺めるよりも幾分かは美しいのに違いなかった。少くとも彼女の笑う度にエナメルのように歯の光るのは見事・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・少将はこの老夫妻と、しばらくの間立ち話をした。が、将軍はいつまでたっても、そこを立ち去ろうとしなかった。「何かここに用でもおありですか?」――こう少将が尋ねると、将軍は急に笑い出した。「実はね、今妻が憚りへ行きたいと云うものだから、わしたち・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・いくら親だからとて、その子の体まで親の料簡次第にしようというは無理じゃねいか、まして男女間の事は親の威光でも強いられないものと、神代の昔から、百里隔てて立ち話のできる今日でも変らぬ自然の掟だ」「なによ、それが淫奔事でなけりゃ、それでもえ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ このふたりは湯をあがってからも、必らず立ち話した。男は腰巻き一つで、うちわを使いながら、湯の番人の坐っている番台のふちに片手をかけて女に向うと、女はまた、どこで得たのか、白い寒冷紗の襞つき西洋寝巻きをつけて、そのそばに立ちながら涼んで・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 二人は、そこでこんな立ち話をしました。たがいに、頭を上げて、あたりの景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感じを見る度に心に与えるものです。 青年は最初将棋の歩み方を知りませんでした。けれど老人について、それを教わりまし・・・ 小川未明 「野ばら」
・・・と新聞はあとで書きましたが、十分過ぎでした。立ち話もそんな場所ではできず、前から部屋を頼んでおいた近くの逢坂町にある春風荘という精神道場へ行こうとすると、新聞の写真班が写真を撮るからちょっと待ってくれと言いました。それで、私たちは、秋山さん・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・が、いつまでもお千鶴のことを立ち話にきくのも変だと、すぐ話をかえて、「――ところで、お前の方は、いまどうしているんだい?」 と、きくと、「――薬屋をしているんです」「――へえ?」 驚いた顔へぐっと寄って来て、「――そ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・出て来た芸者が男衆らしい男と立ち話していたが、やがて二人肩を寄せて宗右衛門町の方へ折れて行った。そのあとに随いて行き乍ら、その二人は恋仲かも知れないとふと思った。この男を配すれば一代女の模倣にならぬかも知れないと、呟き乍ら宗右衛門町を戎橋の・・・ 織田作之助 「世相」
・・・日に焼けたその顔に、汗とはっきり区別のつく涙が落ちた。立ち話でだんだんに訊けば、蝶子の失踪はすぐに抱主から知らせがあり、どこにどうしていることやら、悪い男にそそのかされて売り飛ばされたのと違うやろか、生きとってくれてるんやろかと心配で夜も眠・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ と、松本は連れの女にぐっと体をもたせかけて、「立話もなんとやらや、どや、一緒に行かへんか。いま珈琲のみに行こ言うて出て来たところやねん」「へえ、でも」 坂田は即座に応じ切れなかった。夕方から立って、十時を過ぎたいままで、客・・・ 織田作之助 「雪の夜」
出典:青空文庫