・・・ この泥画について一笑話がある。ツイ二十年ほど前まで日本橋の海運橋の袂に楢屋という老舗の紙屋があった。この楢屋の主人はその頃マダ若かったが、先代からの江戸の通人で、文人墨客と広く交際していた。或時椿岳がフラリと来て、主人に向っていうには・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・家といったってどうせ荒家で、二間かそこいらの薄暗い中に、お父もお母も小穢え恰好して燻ってたに違いねえんだが……でも秋から先、ちょうど今ごろのような夜の永い晩だ、焼栗でも剥きながら、罪のねえ笑話をして夜を深かしたものだっけ、ね。あのころの事を・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・水転にあたるように、雪舟くさいものにも眼を遣れば応挙くさいものにも手を出す、歌麿がかったものにも色気を出す、大雅堂や竹田ばたけにも鍬を入れたがる、運が好ければ韓幹の馬でも百円位で買おう気でおり、支那の笑話にある通り、杜荀鶴の鶴の画なんという・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ ごちそうに出した金米糖のつぼにお客様が手をさし込んだらどうしても抜けなくなったのでしかたなく壺をこわして見たら拳いっぱいに欲張って握り込んでいたという笑話がある。こんな人間はまず少ないであろうが、これとよく似た係蹄に我れとわが手にかか・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ とにかく重兵衛さんの晩酌の肴に聞かしてくれた色々の怪談や笑話の中には、学校教育の中には全く含まれていない要素を含んでいた。そうしてこの要素を自分の柔らかい頭に植えつけてくれた重兵衛さんに、やはり相当の感謝を捧げなければならないように思・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・それを私に伝えた日本の理学者は世にも滑稽なる一笑話として、それを伝えたのである。 なるほどおかしいことはおかしいが、しかし、この話は「俳句とは何か」という根本的な問題を考える場合に一つの参考資料として役立つものであろうと思われる。すなわ・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・ このような例は過去の文化上の貴重な遺産の整理ということについて、決して笑話に終らない本質をもっていると思える。 ドイツでは、大層盛大なワグナア祭典が行われていたり、ゲーテやシラーについて政府としての評価が語られたりしているようだ。・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・これは、古いロシアと新しいソヴェト生活のむじゅんから生ずる滑稽を、毒のない笑話という程度でまとめる。自己批判というキッとしたところのある笑いではない。 こう書いて来て思うのだが、プロレタリアの力がのびてくるにつれ、諷刺の形式をとった文学・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・そのなかで、男妾のようなことをやっているものがあったそうだとか、闇の女をやっているものがあるというがとか、愉快な笑話ででもあるように老先輩が上機嫌で云っていた。大変丁寧な、身分のちがいをあらわした言葉で対手をしている幾人もの学生のうち、一人・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
むかしの人たち、と云っても日本へ写真術が渡来して間もないころの人たちは、写真は、仕掛けでひとがたがとられるのだから、それだけ寿命がちぢまることだと、こわがった。きょうでの笑話だけれども、科学の力はうそをつかないと思いこんで・・・ 宮本百合子 「きょうの写真」
出典:青空文庫