・・・しかし彼等の筆先からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字はいつのまにか、王羲之でもなければ 遂良でもない、日本人の文字になり出したのです。しかし我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。我々の息吹きは潮風のように、老儒の道さえも和げ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・諸君は、小説家やジャーナリストの筆先に迷って徒らに帝都の美に憧れてはならない。われわれの国の固有の伝統と文明とは、東京よりも却って諸君の郷土に於て発見される。東京にあるものは、根柢の浅い外来の文化と、たかだか三百年来の江戸趣味の残滓に過ぎな・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・まかり間違うと、鼻持ちならぬキザな虚栄の詠歎に似るおそれもあり、または、呆れるばかりに図々しい面の皮千枚張りの詭弁、または、淫祠邪教のお筆先、または、ほら吹き山師の救国政治談にさえ堕する危険無しとしない。 それらの不潔な虱と、私の胸の奥・・・ 太宰治 「父」
・・・然し、創作も、筆先の器用さでのみ決するのを正としない自分は、どうかしても、自分と云うその者の本体の裡に戻って考えずにはいられなく成るのである。 男性の中にも、下等な心情の人はある。従って、下等な心情の作家もあり得る。そこ許りを見て、私共・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ 自分は、立ったままテーブルの上にあった硯箱を引きよせ、墨をすりおろして筆先をほごしながら、「御覧なさい、あなたがたのデマの効果がもうあらわれた」と云い、短く返事を書いた。それを読みかえしていると、後から一人の男がスとよって来る・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・と云うものを幾度も幾度も口に云い筆先に現わすのはあんまり好い事ではないかもしれないけれ共私はだまって居る事は出来ない。 嬉しい時に小声な歌を唄いたくなる様に低く小さくそしてつぶやく様にでも私は何か云わなければならない気持になって居る。・・・ 宮本百合子 「繊細な美の観賞と云う事について」
・・・歴史文学の歴史文学たる所以は、風俗や諸現象の底にある人間の社会生活推移の動力にまで筆先をふれて行って、初めて意義があるわけなのである。従って、歴史文学者は、先ず今日という歴史の性格をどう見るかということから自身の課題を解きほぐしてゆかなけれ・・・ 宮本百合子 「歴史と文学」
・・・たまたま強い香気があるとすれば、それはコケおどしに腐心する山気の匂いであり、筆先の芸当に慢心する凝固の臭いであって、真に芸術家らしい独自な生命燃焼の匂いではない。もしこの種の外形的な努力が反省なしに続けて行かれるならば、日本画は低級芸術とし・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫