・・・しかし通、吾を良人とした以上は、汝、妻たる節操は守ろうな。」 お通は屹と面を上げつ、「いいえ、出来さえすれば破ります。」 尉官は怒気心頭を衝きて烈火のごとく、「何だ!」 とその言を再びせしめつ。お通は怯めず、臆する色なく・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・私たちの頭が戦争呆けをしていない限り、もはや節操なき人人の似而自由主義には欺されないであろう。右翼からの転向は、ただ沈黙あるのみだということを、私たちは肝に銘じて置こうと思う。 戦争が終ると、文化が日本の合言葉になった。過去の文化団体が・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・ 然し母と妹との節操を軍人閣下に献上し、更らに又、この十五円の中から五円三円と割いて、母と妹とが淫酒の料に捧げなければならぬかを思い、さすがお人好の自分も頗る当惑したのである。 酒が醒めかけて来た! 今日はここで止める。 五月六・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・この有様でもお秀は妾になったのだろうか、女の節操を売てまで金銭が欲い者が如何して如此な貧乏しい有様だろうか。「江藤さん、私は決して其様なことは真実にしないのよ。しかし皆なが色々なことを言っていますから或と思ったの。怒っちゃ宜ないことよ、・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・それを思うと仕事も碌々手に着かないで、ある時は二人の在処を突留めようと思ったり、ある時は自分の年甲斐も無いことを笑ったり、ある時は美しく節操の無い女の心を卑しんだりして、それ見たかと言わないばかりの親戚友人の嘲の中に坐って、淋しい日を送った・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・ 孤高とか、節操とか、潔癖とか、そういう讃辞を得ている作家には注意しなければならない。それは、殆んど狐狸性を所有しているものたちである。潔癖などということは、ただ我儘で、頑固で、おまけに、抜け目無くて、まことにいい気なものである。卑怯で・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・然し彼等は其僅少な金銭の為に節操を穢しつつある。瞽女でも相当の年頃になれば人に誉められたいのが山々で見えぬ目に口紅もさせば白粉も塗る。お石は其時世を越えて散々な目に逢って来たのである。幾度か相逢ううちにお石も太十の情に絆された。そうでなくと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・どうせ無関係な第三者がひとの艶書のぬすみ読みをするときにこっけいの興味が加わらないはずはないわけであるが、書き手が節操上の徳義を負担しないで済むくろうとのような場合には、この興味が他の厳粛な社会的観念に妨げられるおそれがないだけに、読み手は・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・に指導性について、各自意見の混乱を示している中で、阿部知二は、はっきりファッシズムに興味をもち、人にきいたり一生懸命研究してみるつもりであると断言しているし、フランスから新帰朝の小松清はジイドの文学的節操に感歎しつつ文学における性問題のおし・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ そこで極端な辛辣さが知性にびまんした。節操を失った。 ジャン・ジャック・ルソーを嘲弄し、サン・シモンをせせら笑う。何ものも信じない。幻滅を通った七月革命後のフランスの堕落とバルザック。こういう彼が現代において「秩序ある社会を希望する人・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
出典:青空文庫