・・・これは普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 大概は勇ましくまた殺伐な戦闘や簒奪の顛末であるが、それがただの歴史とはちがって、中にいろいろな対話が簡潔な含蓄のある筆で写されていたり、繊細な心理が素朴な態度でうがたれていたりするのをおもしろいと思った。それから一つの特徴としては、王・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・言葉は自分には少し分りにくいドイツ語であったがその講義は簡潔でしかも要を得た得難い良い講義だと思われた。大事なしかもかなり六かしい事柄の核心を平明にはっきり呑込ませる術を心得ているようであった。結局先生自身がその学問の奥底まではっきり突きと・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・その時のタムソンの演説はさすがにレーリー一代の仕事に対する簡潔な摘要とも見られるものである。その演説の要旨の中から、少しばかり抄録してみる。 「レーリーの全集に収められた四四六篇の論文のどれを見ても、一つとしてつまらないと思うものはない・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・という簡潔な形式によって判断が浮んで来ないのであります。幼稚な智識をもった者、没分暁漢あるいは門外漢になると知らぬ事を知らないですましているのが至当であり、また本人もそのつもりで平気でいるのでしょうが、どうも処世上の便宜からそう無頓着でいに・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・当時の私の態度なり行儀なりははなはだ見苦しいものだと思いますが、それでも簡潔に云う事だけは云って退けました。ではその時何と云ったかとお尋ねになるかも知れませんが、それはすこぶる簡単なのです。私はこう云いました。――国家は大切かも知れないが、・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・アフォリズムとは、だれも知る如くエッセイの一層簡潔に、一層また含蓄深くエキスされた文学である。したがつてそれは最も暗示に富んだ文学で、言葉と言葉、行と行との間に、多くの思ひ入れ深き省略を隠して居る。即ち言へば、アフォリズムはそれ自ら「詩」の・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・今日宗教の最大要件は簡潔である。吾人の哲学はこの二語を以て既に千六百万人の世界各地に散在する信徒を得た。否、凡そ神を信ずる者にしてこの二語を奉ぜざるものありや、細部の諍論は暫らく措け、凡そ何人か神を信ずるものにしてこの二語を否定するものあり・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・白地に黒で簡潔に市役所と書いた札が立てられているのである。ほかに見物人もない廃墟の間を歩いていると、自分たちの声が遠いところまで反響してゆくのがわかる。 もとの市中をぬけると、砲台のあったぐるりの山々までいかにも打ちひらいた眺望である。・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・宣言の簡潔な力強い文章のなかに、エンゲルスとマルクスとがその時までになしとげた、あらゆる科学的研究の結果が具体化されていた。 第一回ロンドン大会にマルクスが出席出来なかったのは簡単で絶対な一つの理由によった。旅費の工面が出来なかったので・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
出典:青空文庫