・・・ 二階に籐椅子が一つ置いてある。その四本の足の下部を筋かいに連結する十字形のまん中がちょっとした棚のようになっている。ここが三毛の好む遊び場所の一つである。何か紙切れのようなものを下に落としておいて、入り乱れた籐のいろいろのすきまから前・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
ことしの夏、信州のある温泉宿の離れに泊まっていたある夜の事である。池を隔てた本館前の広場で盆踊りが行なわれて、それがまさにたけなわなころ、私の二人の子供がベランダの籐椅子に腰かけて、池の向こうの植え込みのすきから見える踊り・・・ 寺田寅彦 「人魂の一つの場合」
・・・ その曲がった脊柱のごとくヘテロドックスなこの老学者がねずみの巣のような研究室の片すみに、安物の籐椅子にもたれてうとうととこんな夢を見ているであろう間に、容赦なく押し寄せる野球時代の波の音は、どこともない秋晴れの空の果てから聞こえて・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・陽子はさし当り入用な机、籐椅子、電球など買った。四辺が暗くなりかけに、借部屋に帰った。上り端の四畳に、夜具包が駅から着いたままころがしてある。今日は主の爺さんがいた。「勝手に始末しても悪かろうと思って――私が持って行って上げましょう」・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
景清 この夏、弟の家へ遊びに行って、甃のようになっているところの籐椅子で涼もうとしていたら、細竹が繁り放題な庭の隅から、大きな茶色の犬が一匹首から荒繩の切れっぱしをたらしてそれを地べたへ引ずりながら、・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・光りを背に受けて、露台の籐椅子にくつろいだ装で母がいる。彼女は不機嫌であった。いつも来る毎に水がうまく出ないから腹を立てるのであった。「――今度は私がその何とか云う男にじかに会ってみっちり言ってやる。いくら計算は計算でも水が出なけりゃ迷・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・ 食卓を離れ、椽側の籐椅子に腰かけ、青葉の庭を眺めた。八つ手、檜葉、樫、午下りの日光と微風に輝き揺れて居る一隅の垣根ごしに、鶯の声がした。飼われて居る鶯らしい。三月の初め、私が徹夜した黎明であった。重く寒い暗藍色の東空に、低く紅の横雲の・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・ ガラス張の屋内温室の、棕梠や仙人掌の間に籐椅子がいくつかあり、その一つの上に外国新聞がおきっぱなしになっている。人がいた様子だけあって、そこいらはしんとしている。 大階段の大理石の手すりにもたれて下をのぞいたら、表玄関が閉っていて・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ 木蓮の葉のまっ青な群の下に籐椅子を据えて「ひざ」の上に本をふせたまんま千世子は何か柔い節の小唄めいたものを歌って居た。「見えるの?」 篤は重なって肇の頭の上から千世子の様子を見た。「いつもより奇麗に見えるねえ。」「ああ・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・ 木蓮の木の下に籐椅子をすえて千世子が居るのを見つけた。 ゆるく縞の着物の衿をかき合わせて「ひざ」の上に小さい詩集をのっけて上を向いてうたって居た。 唇がまっかに見えた。 真白い「あご」につづいてふくらんだ喉のあたりから声が・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
出典:青空文庫