・・・黒川弥太郎、酒井米子、花井蘭子などの芝居であった。翌る朝、思い出して、また泣いたというのは、流石に、この映画一つだけである。どうせ、批評家に言わせると、大愚作なのだろうが、私は前後不覚に泣いたのである。あれは、よかった。なんという監督の作品・・・ 太宰治 「弱者の糧」
はじめて大町米子さんにあったのは、いまから十年ばかりまえのことであった。友達から紹介されて、うちへいらした。夏の夜だったとおもう。団扇をつかいながらいろいろ話がでて、大町さんはだんだん自分のくるしい境遇のことや、結婚の問題・・・ 宮本百合子 「大町米子さんのこと」
・・・ 赤江米子氏/母の或部分思いがけずとまって気の毒だったこと――自分はこの頃、女中とだけ居る淋しさつまらなさを理解出来るから、 それ等が、刺戟となって口に出たのだ。考えて見、自分でおどろく。少し悲し、少し面白し、悲しい方がつよい。・・・ 宮本百合子 「一九二三年冬」
・・・十二月、宮本と松江市、米子市、大阪、山口市等の講演旅行に行った。十二月に新しい日本の民主的文学へのよびかけとして「歌声よおこれ」を新日本文学創刊号のために書いた。近代文学のために「よもの眺め」を書いた。主としてジュール・ロマンの「ヨ・・・ 宮本百合子 「年譜」
林米子さんへ。 お手紙ありがとう。十二月二十五日の晩は、かえりにおつれがあったから助かりましたが、本郷の通りで、走っていたバスが急停車したとき、ステップのわきの金棒につかまって立っていたわたしのからだが、ブーンとひとま・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・、林米子「矢車草」など、職場に働いている労働者作家の作品を発表しはじめるとともに、徳永直「妻よねむれ」、宮本百合子「播州平野」などをのせはじめた。 永井荷風によって出発したジャーナリズムは、インフレーションの高波をくぐって生存を争うけわ・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
きょうは、うれしいニュースを、おつたえいたします。私たちの代表として、大町米子さんが立候補されることに決定しました。所属は共産党であります。皆さんよく御承知のとおり、大町米子さんは、親しみぶかく、なつかしい私どもの仲間です。私は大・・・ 宮本百合子 「婦人の皆さん」
・・・ 二十五日、法科大学の学生なる丸山という人訪いく。米子の滝の勝を語りて、ここへ来し途なる須坂より遠からずと教えらる。滝の話は、かねても聞きしことなれど、往て観んとおもう心切なり。 二十六日、天陰りて霧あり。きょうは米子に往かんと、か・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫