・・・自由とは自然法則に従って進行する一系列の現象を自ら始める絶対的に自発的な原因または能力と呼んだ。すなわち、「何々からの自由でなく、規定の一つ多い積極的自由である。規定が一つ減じることは因果律が許さないが、一つ増加することは差支えない。しから・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・またたとえばわが国古来の絵巻物のようなものも、視覚的影像の連続系列であるという点では似た要素をもっていないとは言われない。それからまた、眼底網膜の視像の持続性を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・永い旅路と季節の推移を示す短いシーンの系列など、まさに挿画を順々にめくって行く気持である。コローの絵を想い出させるようなフランスの田舎の幻像がスクリーンの上を流れて行く、老人と子供が雪夜の石段を下りて来る図や、密航船の荷倉で人参をかじる図な・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・このアメリカ映画の話の筋は決してそう明るいものではなくむしろその奥底にはかなりに悲惨な現実の問題を提供しているはずのものであるのに、映画として観客に与える感覚は主として明るくさわやかに新鮮な視像の系列としてのそれである。薄ぎたないかび臭い場・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 胃の腑の適当な充血と消化液の分泌、それから眼底網膜に映ずる適当な光像の刺激の系列、そんなものの複合作用から生じた一種特別な刺激が大脳に伝わって、そこでこうした特殊の幻覚を起こすのではないかと想像される。「胃の腑」と「詩」との間にはまだ・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・の見やすい事が、取捨の全権を握っている上長官に透徹するまでにはしばしば容易ならぬ抵抗に打ち勝つことが必要である。ことにその間に庶務とか会計とかいう「純粋な役人」の系列が介在している場合はなおさら科学的方策の上下疎通が困難になる道理である。・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そういう事を頭においてだんだんに上記のいろいろの弦楽器の名前をローマ字書きに直して平面的あるいは立体的に並列させてみるとこれらはほとんど連続的な一つの系列を作る。これはたぶん偶然であるかもしれない。しかし万一そうでないかもしれない。かりに偶・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・ 要するにレビューというものはただ雑然とした印象系列の偶然な連続としか思われなかった。ワグナーの歌劇やハウプトマン、ズーデルマンなどの芝居などに親しんでいた当時の自分にはレビューというものは結局ただエキゾチックな玩具箱を引っくり返したよ・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・というふうに、ただひと色の音の系列になってしまった。豆腐屋が変わったのか笛が変わったのかどちらだかわからない。 昔は「トーフイ」と呼び歩いた、あの呼び声がいったいいつごろから聞かれなくなったかどうも思い出せない。すべての「ほろび行くもの・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ 前に連句の付け合わせの心理的機巧を述べたときに詳説しておいたように、前句と付け句とは二つの個性の部分的重合によって連結されたものであって、連句の全体はそういうものの連鎖の一系列を形成している。従ってその連鎖のつながり方を規定するものは・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫