・・・ 実際作物の創作心理から考えてみても、考えていたものがただそのままに器械的に文字に書き現わされるのではなくて、むしろ、紙上の文字に現われた行文の惰力が作者の頭に反応して、ただ空で考えただけでは決して思い浮かばないような潜在的な意識を引き・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ これらと少し種類はちがうが、紙上に水平に一直線を描いて、その真中から上に垂直に同長の直線を立てると、その垂直線の方が長く見える。顔の長い人が鳥打帽を冠ると余計に顔が長く見えるという説があるが、これもなんだか関係がありそうである。 ・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
・・・そうしてその頃からマルキシストの転向が新聞紙上で続々として報道されている。後世の頭のいい史家でヨーヨーとマルクスの関係を論ずるものが出ないとも限らない。七月下旬に沓掛へ行ったときは時鳥が盛んに啼いたが、八月中旬に再び行ったときはもう時鳥を聴・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
近ごろある地方の小学校の先生たちが児童赤化の目的で日本固有のおとぎ話にいろいろ珍しいオリジナルな解釈を付加して教授したということが新聞紙上で報ぜられた。詳細な事実は確かでないが、なんでもさるかに合戦の話に出て来るさるが資本・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・しかしそれよりもこの人に感心したのは氏が先年H子夫人と同伴で洋行したときに、パリ在住の通信員によって某紙上に報ぜられたこの夫妻の行動に関する記事を読んだときである。パリのまん中でパリジャンを「異人」と呼び、アンバリードでナポレオンの墓を見て・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ 当時居士は東京日日新聞の紙上に其の所謂「吾曹」の政論を掲げて一代の指導者たらんとしたのである。又狭斜の巷に在っては「池の端の御前」の名を以て迎えられていた。居士が茅町の邸は其後主人の木挽町合引橋に移居した後まで永く其の儘に残っていたの・・・ 永井荷風 「上野」
・・・当時我国興行界の事情と、殊にその財力とは西洋オペラの一座を遠く極東の地に招聘し得べきものでないと臆断していたので、突然此事を聞き知った時のわたくしの驚愕は、欧洲戦乱の報を新聞紙上に見た時よりも遥に甚しきものがあった。 五年間に渉った欧洲・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・老人は眼鏡の力を借りて紙上の講談筆記を読む。その講談は老人の猶衰えなかった頃徒歩して昼寄席に通い、其耳に親しく聴いたものに較べたなら、呆れるばかり拙劣な若い芸人の口述したものである。然し老人は倦まずによく之を読む。 わたくしが菊塢の庭を・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・外国語学校に通学していた頃、神田の町の角々に、『読売新聞』紙上に『金色夜叉』が連載せられるという予告が貼出されていたのを見たがしかしわたくしはその当時にはこれを読まなかった。啻に『金色夜叉』のみならず紅葉先生の著作は、明治三十四、五年の頃友・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・およそ世の読者に興味のあるような残忍の事件はそう毎日毎日、紙上を埋めるほど頻々として連続するものではない。例えば、日大の学生がその母と妹とに殺された事件、玉の井の溝からばらばらに切り放された死人の腕や脚が出た事などは今だに人の記憶しているく・・・ 永井荷風 「裸体談義」
出典:青空文庫