・・・そこには紙幣が入っていた。五円札と、五十銭札と、一円札とが合せて十円ぐらい入っている。母が、薪出しをしてためた金を内所で入れといてくれたのだろう。「おい、おい。お守りの中から金が出てきたが。」 吉永は嬉しそうに云った。「何だ。」・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・そして、彼らが市街のいずれかへ消えて行って、今夜ひっかえしてくる時には、靴下や化粧品のかわりに、ルーブル紙幣を、衣服の下にかくしている。そんな奴があった。 二 北方の国境の冬は、夜が来るのが早かった。 にょきにょ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・而もその札は、鮮銀の紙幣そっくりそのまゝのものだった。出兵が始まると同時に、アメリカは、汽船に二杯、偽札を浦潮へ積みこんできた。それを見たという者があった。「何で化の皮を引きむいてやらんのだ!」 兵士達は、偽札を撒きちらされても、強・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・しやッたる跡の気のもめ方もしや以前の歌川へ火が附きはすまいかと心配ありげに撲いた吸殻、落ちかけて落ちぬを何の呪いかあわてて煙草を丸め込みその火でまた吸いつけて長く吹くを傍らにおわします弗函の代表者顔へ紙幣貼った旦那殿はこれを癪気と見て紙に包・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・私が支払い口の窓のところで受け取った紙幣は、風呂敷包みにして、次郎と二人でそれを分けて提げた。「こうして見ると、ずいぶん重いね。」 待たせて置いた自動車に移ってから、次郎はそれを妹に言った。「どれ。」 と、妹も手を出して見せ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・それから十日ほど経って、こんどは大谷さんがひとりで裏口からまいりまして、いきなり百円紙幣を一枚出して、いやその頃はまだ百円と言えば大金でした、いまの二、三千円にも、それ以上にも当る大金でした、それを無理矢理、私の手に握らせて、たのむ、と言っ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ と言って拾円紙幣のかなりの束を見せ、「娘の保険がさがりまして、やっぱり娘の名儀でこんにち入金のつもりでごいす。」「それは結構でした。きょうは、僕のほうが、うけ出しなんです。」 甚だ妙な成り行きであった。やがて二人の用事はす・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・日本の喜劇には、きまったように、こんな、大めしを食うところや、まんじゅうを十個もたべて目を白黒する場面や、いちまいの紙幣を奪い合ってそうしてその紙幣を風に吹き飛ばされてふたりあわててそのあとを追うところなどあって、観客も、げらげら笑っている・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ あなたから長いお手紙をいただき、ただ、こいつあいかんという気持で鞄に、ペン、インク、原稿用紙、辞典、聖書などを詰め込んで、懐中には五十円、それでも二度ほど紙幣の枚数を調べてみて、ひとり首肯き、あたふたと上野駅に駈け込んで、どもりながら・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・を識別し、贋造紙幣を「発見」する。しかし、物の表面の「粗度」の物理的研究はまだ揺籃時代を過ぎない。これほどに有力な感官の分析総合能力が捨てて顧みられない一つの理由は、その与えるデータが数量的でないためである。しかし、数量的のデータを与える事・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
出典:青空文庫