・・・黄老の学者の地上楽園もつまりは索漠とした支那料理屋に過ぎない。況んや近代のユウトピアなどは――ウイルヤム・ジェエムスの戦慄したことは何びとの記憶にも残っているであろう。 わたしの夢みている地上楽園はそう云う天然の温室ではない。同時に又そ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・を読んだのとは、全く反対な索漠さを感じて、匆々竜華寺の門をあとにした。爾来今日に至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。 しかし怪しげな、国家主義の連中が、彼らの崇拝する日蓮上人の信仰を天下に宣・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・不幸にして自分は城山の公園に建てられた光栄ある興雲閣に対しては索莫たる嫌悪の情以外になにものも感ずることはできないが、農工銀行をはじめ、二、三の新たなる建築物に対してはむしろその効果において認むべきものが少くないと思っている。 全国の都・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・講和問題、新婦新郎、涜職事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたよう・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・こんなところは、宿泊料も安いであろうという、理由だけで、私はその索寞たる山村を選んだ。昭和十五年、七月三日の事である。その頃は、私にも、少しお金の余裕があったのである。けれども、それから先の事は、やはり真暗であった。小説が少しも書けなくなる・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・先生が疾くに索寞たる日本を去るべくして、いまだに去らないのは、実にこの愛すべき学生あるがためである。 京都の深田教授が先生の家にいる頃、いつでも閑な時に晩餐を食べに来いと云われてから、行かずに経過した月日を数えるともう四年以上になる。よ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・と題して「人生にすべての苦難がなくなったときの索漠たる物寂しさを想像して見よ」この世は辛いのでいいのだという金言みたいなのがのっている。 実にブルジョア地主が、好きで繰返す言葉だ。頁をくって見ると、『キング』の至るところにこの種類の・・・ 宮本百合子 「『キング』で得をするのは誰か」
・・・四角い顔の半面が攣れていたようなのは消え、赤味も減り、蒼白く無表情に索漠とした顔つきである。肩つきまで下った。カサのない電燈の黄色っぽい光がその顔を正面から照りつけている。冷たい茶を啜り、自分はなお弁当をたべつづけた。―― ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・さや感傷が、自身は暖い炉辺で慰問靴下をあみつつ、美食家のエネルギーで戦線の英雄的行動をしゃべり、スリルを味っている女たちに対する憎悪とともに、どのくらい深刻に思慮ある男、現実の艱苦の中にある男の感情を索漠とさせるものであるか。ヨーロッパ大戦・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・それだのに何故物取り主義などという索寞とした自己批判が起ったのでしょう。経済闘争だけで終ったとき、人々の心に湧いた人間としての物足りなさ、やったことが間違っていないことはたしかでも、なお一抹のものたりない思い、充実しない感じがあって、こうい・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
出典:青空文庫