・・・寂しい、美しい女が、花の雲から下りたように、すっと翳って、おなじ堀を垂々下りに、町へ続く長い坂を、胸を柔に袖を合せ、肩を細りと裙を浮かせて、宙に漾うばかり。さし俯向いた頸のほんのり白い後姿で、捌く褄も揺ぐと見えない、もの静かな品の好さで、夜・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・腰も曲ってはいなかったが、手足は痩せ細り、眼鏡をかけた皺の多い肉の落ちた顔ばかりを見ると、もう六十を越していたようにも思われた。夏冬ともシャツにズボンをはいているばかり。何をしていたものの成れの果やら、知ろうとする人も、聞こうとする人も無論・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ シャロットの野に麦刈る男、麦打つ女の歌にやあらん、谷を渡り水を渡りて、幽かなる音の高き台に他界の声の如く糸と細りて響く時、シャロットの女は傾けたる耳を掩うてまた鏡に向う。河のあなたに烟る柳の、果ては空とも野とも覚束なき間より洩れ出づる・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫