・・・殊に細君のヒステリイか何かを材にした句などを好まなかった。こう云う事件は句にするよりも、小説にすれば好いのにとも思った。爾来僕は久しい間、ずっと蛇笏を忘れていた。 その内に僕も作句をはじめた。すると或時歳時記の中に「死病得て爪美しき火桶・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・私は、ヴォルガ河で船乗りの生活をして、其の間に字を読む事を覚えた事や、カザンで麺麭焼の弟子になって、主人と喧嘩をして、其の細君にひどい復讐をして、とうとう此処まで落ち延びた次第を包まず物語った。ヤコフ・イリイッチの前では、彼に関した事でない・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・大声でも出して、細君を打って遣りたいようである。しかし自分ながら、なぜそんなに腹が立つのだか分からない。それでじっと我慢する。「そりゃあ己だって無論好い心持はしないさ。しかしみんながそんな気になったら、それこそ人殺しや犯罪者が気楽で好か・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・おれは細君を持つまでは今の通りやるよ。きっとやってみせるよ。A 細君を持つまでか。可哀想に。しかし羨ましいね君の今のやり方は、実はずっと前からのおれの理想だよ。もう三年からになる。B そうだろう。おれはどうも初め思いたった時、君のや・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・もうその時分は、鴾の細君であった。鴾氏――画名は遠慮しよう、実の名は淳之助である。 この場合、うっかり口へ出そうなのを、ふと控えたのは、この婦が、見た処の容子だと、銀座へ押掛けようと言いかねまい。…… そこの腰掛では、現に、なら・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・予は細君と合点してるが、初めてであるから岡村の引合せを待ってるけれど、岡村は暢気に済してる。細君は腰を半ば上りはなに掛けたなり、予に対して鄭嚀に挨拶を始めた、詞は判らないが改まった挨拶ぶりに、予もあわてて初対面の挨拶お定まりにやる。子供二人・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが、大津生れの愛嬌者だけに、「えろうお気の毒さまどすこと」と、自分は亭主に角のない皮肉をあびせかけ、銚子を僕に向けて、「まア、一杯どうどす?――うちの人は、いつ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・随分内を外の勝手気儘に振舞っていたから、奉公人には内の旦那さんは好い旦那と褒められたが、細君には余り信用されもせず大切がられもしなかった。 殊にお掛屋の株を買って多年の心願の一端が協ってからは木剣、刺股、袖搦を玄関に飾って威儀堂々と構え・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・だ、がこの二晩の出来事で私も頗る怯気がついたので、その翌晩からは、遂に座敷を変えて寝たが、その後は別に何のこともなかった、何でもその後近所の噂に聞くと、前に住んでいたのが、陸軍の主計官とかで、その人が細君を妾の為めに、非常に虐待したものから・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・おきみ婆さんは昔大阪の二等俳優の細君でしたが、芸者上りの妾のために二人も子のある堀江の家を追いだされて、今日まで二十五年の歳月、その二人の子の継子の身の上を思いつめながら野堂町の歯ブラシ職人の二階を借りて、一人さびしく暮してきたという女でし・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫