・・・ かなぐり脱いだ法衣を投げると、素裸の坊主が、馬に、ひたと添い、紺碧なる巌の聳つ崕を、翡翠の階子を乗るように、貴女は馬上にひらりと飛ぶと、天か、地か、渺茫たる広野の中をタタタタと蹄の音響。 蹄を流れて雲が漲る。…… 身を投じた紫・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 山へはいりかかった、赤い日が、今日の見収めにとおもって、半分顔を出して高原を照らすと、そこには、いつのまにか真紅に色づいた、やまうるしや、ななかまどの葉が火のように点々としていました。 紺碧に暮れていく空の下の祭壇に、ろうそくをと・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・また、紺碧の海は、黒みを含んでいます。そして高い波が絶えず岸に打ち寄せているのでありました。 宝石商は、今日はここの港、明日は、かしこの町というふうに歩きまわって、その町の石や、貝や、金属などを商っている店に立ち寄っては、珍しい品が見つ・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・ その下には紺碧にまさる青き流れ、 その上には黄金なす陽の光。 されど、 憩いを知らぬ帆は、 嵐の中にこそ平穏のあるが如くに、 せつに狂瀾怒濤をのみ求むる也。 あわれ、あらしに憩いありとや。鶴・・・ 太宰治 「犯人」
・・・そうして宅へ帰ったら瓦が二、三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭はおよそ天下に何事もなかったように真紅の葉を紺碧の空の光の下に耀かしていたことであった。しかしその時刻にはもうあの恐ろしい前代未聞の火事の渦巻が下町一帯に拡がりつつあ・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・そうして宅へ帰ったら瓦が二三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭はおよそ天下に何事もなかったように真紅の葉を紺碧の空の光の下にかがやかしていたことであった。しかしその時刻にはもうあの恐ろしい前代未聞の火事の渦巻が下町一帯に広がりつつ・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・地理学書でもまた物語でも読んで知っていたアトリオ・デル・カヴルロとかソマムとか、こういう名前も何となく嬉しく、また地質学者から教わる色々の岩石の名前も珍しかったと見えてよく覚えている。紺碧のナポリの湾から山腹を逆様に撫で上げる風は小豆大の砂・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ 深い紺碧をたたえてとうとうとはて知らず流れ行く其の潮は、水底の数知れぬ小石の群を打ちくだき、岩を噛み、高く低く波打つ胸に、何処からともなく流れ入った水沫をただよわせて、蒼穹の彼方へと流れ去る。 此の潮流を人間は、箇人主義又は利己主・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・ そして紺碧である。 頂に固く凍った雪の面は、太陽にまともから照らされて、眩ゆい銀色に輝きわたり、ややうすれた燻し銀の中腹から深い紺碧の山麓へとその余光を漂わせている。 遠目には見得ようもない地の襞、灌木の茂みに従って、同じ紺碧・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫