・・・エルサレムと世界の最後。終末に関する大説教である、二十一章七節より三十六節まで。 勿論以上を以て尽きない、全福音書を通じて直接間接に来世を語る言葉は到る所に看出さる、而して是は単に非猶太的なる路加伝に就て言うたに過ぎない、新約聖・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・そうして静かにこの一編の終末がフェードアウトするのである。この終末の取り扱い方にどこかフランス芸術に共通な気のきいた呼吸を見ることができるような気がする。 三 世界の屋根 この映画で自分のもっとも美しいと思った場面は・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 三島の青年団によって喚び起された自分の今日の地震気分は、この静岡市役所前の青年団の歓声によって終末を告げた。帰りの汽車で陰暦十四日の月を眺めながら一行の若い元気な学者達と地球と人間とに関する雑談に汽車の東京に近づくのを忘れていた。「静・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・ 終末の幕切れに教授の死を弔う学生の「アーメン」にいたっては、蛇足にサボをはかせたようなものではないかと思われた。 大学教授連盟とかいう自分にはあまり耳慣れない名前の団体から、このような芝居は教育界の神聖を汚すものだと言って厳重な抗・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 欧州大戦の終末に近いある年のたぶん五月初めごろであったかと思う。ある朝当時自分の勤めていたR大学の事務室にちょっとした用があってはいって見ると、そこに見慣れぬ年取った禿頭のわりに背の低い西洋人が立っていて、書記のS氏と話をしていた。S・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・しがたい社会の枠の中に、このようになまなまと恐ろしい人間性格の相剋が現実すること、そして、その相剋する力がその枠をとりのぞく作用としては在り得ないで、その枠内で揉み合って、枠内のしきたりによって悲劇の終末へまで運ばれてゆくのが、常に正直一途・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ モラル ↓◎芸術は永遠に満たされぬ者にとってはただ一つの端初にすぎず、その終末は無窮の中にあるのだ。それは一階梯にすぎず殿堂そのものではない。 この事実は、芸術家の大きい魂の真実にふれている、常に自己を超えよ・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・の中で書いている通り、「その悪い終末にも拘らず、よい歴史として終りをつげた。」そのオリガとの訣別は、ゴーリキイとの性格のちがい人生に対する態度のちがいから起ったのであるが、自身の人間及び作家としての発展の自覚と、それに不適合な女との関係をゴ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・「こうして私の初恋の歴史――その悪い終末にもかかわらず、よい歴史は終りを告げた」と。 巨大な歴史的矛盾の運びとトルストイとゴーリキイとの交友は、いろいろの点で興味を与えるが、女について二人の態度が全く相違しているのは面白いことである。ト・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・「こうして、初恋の歴史――その悪い終末にも拘らず、よい歴史は終りを告げた」のであった。 一九〇一年、ゴーリキイは初めて首都ペテルブルグに現れた。今は誰知らぬ者ない「フォマ・ゴルデーエフ」の作者として。「三人」の作者、「鷹の歌」の作者、フ・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
出典:青空文庫