・・・下旬、予審終結。ひどく健康を害していたために市ヶ谷からじかに慶応大学病院に入院した。六月。公判、懲役〔二〕年、執行猶予〔四〕年を言い渡された。予審と公判とを通じて私は文学の階級性を主張することができなかった。七月。保護観察所によって・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・性質として、多くの場合、この問題に対する作者自身の見地を以て作品は終結されるので、何かの形で、賛、否、の断案が下されていることになります。 作家が女性であった場合と、男性であった場合とで、又作品を貫く感激も違って来るでしょうが、それがと・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
・・・一八二五年、ロシアでは有名な十二月党の反乱が悲劇的終結をとげた年、愈々この出版事業にとりかかった二十六歳のバルザックは、自分から活字屋になり、印刷屋になり、本屋にまでなって悪戦苦闘したのであったが、この金銭争奪で未熟な事業家バルザックがその・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・悲劇が終結したとき、はじめてそれが悲劇であったことが第三者の心の中に活きて立ち上って来るという現実の一つの例である。 石川達三氏が『新潮』九月号に発表された「日蔭の村」は、小河内村の住民の永年に及んだ窮乏化と受けた偽瞞と最後の離散と・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・の歴史的任務の終結、「ナップ」へのより拡大された左翼作家の組織化という事実になって現れたのだ。 ところで、「ナップ」――全日本無産者芸術団体協議会は、四月下旬からつぎつぎに各同盟の大会をもった。 五月二十四日には日本プロレタリア作家・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・「自身の内に英雄を感じ」終結は「この戦場をのりこえて」「善良が不徳でないところまで、私を強くするのだ」という気持を、この作者は語ろうとしている。本多氏の短評では、「私」を出して書いているので作品として成功しがたかったと云われていたと覚えてい・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・戦争が済んでからもう三年たち四年目になりつつありますが、その年の終りに極東裁判が終結しまして、そうして七人の首謀者達は処刑されました。一応それでもう日本のいままでの十数年間続いていた暗い、重い、人間らしくない、私どもの命も生活も文化も自分た・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
・・・は「長期に亙る犠牲の多い戦争を終結させるために朝鮮で原子爆弾を使用すべきである」という文書を、西欧各国政府におくった事実をつたえている。更に、この委員会は「モスクワ・レーニングラード・オデッサ・キエフその他の都市を原子爆弾で破壊すべきである・・・ 宮本百合子 「平和の願いは厳粛である」
・・・に、聖旗をかざした女子供を先頭とする約十万の民衆が、日露戦争の終結、政治的自由の保証、パンと職とをツァーに求めて冬宮広場に進んだ時、ガポン僧正の裏切りによって、聖像を先に立てて「父なるツァー」に請願のため行列して行った民衆は、冬宮を背にして・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・が出ていて、ヘッセを詩人として確立させたこの作は、二十世紀初頭の文化や文学に対して二十七歳だった作者が抱いた批判や、自分としての立場がペーターの彷徨とその終結のうちに語られている。この小説で、ヘッセは自分が「大多数の人々がその思想と情熱の全・・・ 宮本百合子 「若き精神の成長を描く文学」
出典:青空文庫