・・・(といいながら、壁にかけられた石膏こいつに絵の具を塗っておまえの選んだ男の代わりに入れればいいんだよ。たとえば俺がおまえに選ばれたとするね。ほんとうにそうありたいことだが。すると俺は俺の弟となっておまえと夫婦になるんだ。そうしてこいつが俺の・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ 甲冑堂の婦人像のあわれに絵の具のあせたるが、遥けき大空の雲に映りて、虹より鮮明に、優しく読むものの目に映りて、その人あたかも活けるがごとし。われらこの烈しき大都会の色彩を視むるもの、奥州辺の物語を読み、その地の婦人を想像するに、大・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ その透綾娘は、手拭の肌襦袢から透通った、肩を落して、裏の三畳、濡縁の柱によっかかったのが、その姿ですから、くくりつけられでもしたように見えて、ぬの一重の膝の上に、小児の絵入雑誌を拡げた、あの赤い絵の具が、腹から血ではないかと、ぞっとし・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 娘は、赤い絵の具で、白いろうそくに、魚や、貝や、または海草のようなものを、産まれつきで、だれにも習ったのではないが上手に描きました。おじいさんは、それを見るとびっくりいたしました。だれでも、その絵を見ると、ろうそくがほしくなるように、・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・少年は熱心に美しい絵の具箱の中に収めてあるいろいろの絵の具を一つ一つ使い分けて草を描いたり、また鳥などを描いたり、花などを描いたりしていました。 光治は自分の吹く笛の音につれて、小鳥がいっしょになってさえずるのを自慢にしていました。いま・・・ 小川未明 「どこで笛吹く」
・・・ その時まで、三郎は何かもじもじして、言いたいことも言わずにいるというふうであったが、「とうさん――ホワイトを一本と、テラ・ロオザを一本買ってくれない? 絵の具が足りなくなった。」 こう切り出した。「こないだ買ったばかりじゃない・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・新しい絵の具はぬれたように光る。そこから発散する油の香いも私には楽しかった。次郎は私のそばにいて、しばらくほかの事を忘れたように、じっと自分の画に見入っていた。「ほら、お前が田舎から持って来た画さ。」と、私は言った。「とうさんなら、あの・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・これを、詩人が一本の万年筆と一束の紙片から傑作を作りあげ、画家が絵の具とカンバスで神品を生み出すのと比べるとかなりな相違があるのを見のがすことはできない。映画芸術の経済的社会的諸問題はここから出発するのである。 映画の成立・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・科学者は落ち着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないでいたずらにきたならしい絵の具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないでひとりぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・すべてが岩絵の具でかいた絵のように明るく美しい色彩をしている。もちろん土佐の山々だろうと思って、子供の時から見慣れたあの峰この峰を認識しようとするが、どうも様子がちがってそれらしいのがはっきりわからない。だんだん心細くなって来た。 昔の・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
出典:青空文庫