・・・を染めたアニリン色素のなまなましい彩色がまだ柔らかい網膜を残忍にただらせていたころの事である。こういうものに比べて見たときに、このいわゆる「油絵」の温雅で明媚な色彩はたしかに驚くべき発見であり啓示でなければならなかった。遠い美しい夢の天国が・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・かりにねずみの身長を十五センチメートルとし、それを百五十メートルの距離から見るとんびの目の焦点距離を、少し大きく見積もって五ミリメートルとすると、網膜に映じたねずみの映像の長さは五ミクロンとなる。それが死んだねずみであるか石塊であるかを弁別・・・ 寺田寅彦 「とんびと油揚」
・・・ 帰りの汽車では忘れずに農園のチューリップと、チューリップの農園の概観を網膜に写すことによって往路の小発見の満足を蒸し返し完成することを忘れなかった。 関八州が急に狭くなったような気がして帰って来たが、東京駅から駒込までの馴れた道筋・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・というのは、全くわれわれの眼底網膜に固有な生理的効果すなわち一種の錯覚によるものと考えるほかはないのである。そうして、この効果は暗黒にならされた目にあまり強くない光の帯が映ずる場合に特に著しいように思われたのである。 この事実と、前述の・・・ 寺田寅彦 「人魂の一つの場合」
・・・そのようにしてわれわれの網膜は疲れ麻痺してしまってその瞬時の影像すら明瞭に正確に認めることができなくなってしまうのではあるまいか。 こういう習慣は物事に執着して徹底的にそれを追究するという能力をなしくずしに消磨させる。たとえばほんとうに・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・そしてその物から来る光の波長が一ミリの二千分の一ないし三千分の一ぐらいの範囲内にあるのでなければもはや網膜に光の感じを起こさせる事ができない。波長がこの範囲にあってもその運ぶエネルギーが一定の限度以上でなければ感じる事ができない。なおやっか・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・死んだ網膜にも灯の光がほっかりと感ずるらしい。一人の瞽女が立ったと思うと一歩でぎっしり詰った聞手につかえる。瞽女はどこまでもあぶなげに両方の手を先へ出して足の底で探るようにして人々の間を抜けようとする。悪戯な聞手はわざと動かないで彼の前を塞・・・ 長塚節 「太十と其犬」
〔もうでかけましょう。〕たしかに光がうごいてみんな立ちあがる。腰をおろしたみじかい草。かげろうか何かゆれている。かげろうじゃない。網膜が感じただけのその光だ。〔さあでかけましょう。行きたい人だけ。〕まだ来ないものは仕方ない。さっきか・・・ 宮沢賢治 「台川」
出典:青空文庫