・・・ 二人の間の話題は、しばらく西太后で持ち切っていたが、やがてそれが一転して日清戦争当時の追憶になると、木村少佐は何を思ったか急に立ち上って、室の隅に置いてあった神州日報の綴じこみを、こっちのテエブルへ持って来た。そうして、その中の一枚を・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・僕はこの製本屋の綴じ違えに、――その又綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ずそこを読んで行った。けれども一頁も読まないうちに全身が震えるのを感じ出した。そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。イヴァン・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ が、中でも一番面白かったのは、うすい仮綴じの書物が一冊、やはり翼のように表紙を開いて、ふわりと空へ上りましたが、しばらくテエブルの上で輪を描いてから、急に頁をざわつかせると、逆落しに私の膝へさっと下りて来たことです。どうしたのかと思っ・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・ 仕事は熱心だから、仕事だけはズボラでない筈だが、しかし書き上げてしまうと、綴じて送ったためしはない。読み返すこともしないらしく、送った原稿が一枚抜けていたりすることも再三あった。二枚ぐらいの短かい随筆で、最初は「私」と書いているのに、・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・ まえまえから、蝶子はチラシを綴じて家計簿を作り、ほうれん草三銭、風呂銭三銭、ちり紙四銭、などと毎日の入費を書き込んで世帯を切り詰め、柳吉の毎日の小遣い以外に無駄な費用は慎んで、ヤトナの儲けの半分ぐらいは貯金していたが、そのことがあって・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ その後桂はついに西国立志編を一冊買い求めたが、その本というは粗末至極な洋綴で、一度読みおわらないうちにすでにバラバラになりそうな代物ゆえ、彼はこれを丈夫な麻糸で綴じなおした。 この時が僕も桂も数え年の十四歳。桂は一度西国立志編の美・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・足袋屋の小僧が木の型に入れて指先の形を好くしてくれたり、滑かな石の上に折重ねて小さな槌でコンコン叩いてくれたりした、その白い新鮮な感じのする足袋の綴じ紙を引き切って、甲高な、不恰好な足に宛行って見た。「どうして、田舎娘だなんて、真実に馬・・・ 島崎藤村 「足袋」
・・・ 私も為方ないから、へえ然ようでござえんすか、実は然云うお達があったもんですから出ましたような訳でと、然う云うとね、下役の方が、十二枚づつ綴じた忰の成績書をお目にかけて、何かお話をなすっていましたっけがね、それには一等一等と云うのが、何・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・「まずうちへ帰ると婆さんが横綴じの帳面を持って僕の前へ出てくる。今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・今まではこの五彩の眩ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
出典:青空文庫