・・・「ちょいと嬰児さんにおなり遊ばせ。」 思懸けない、その御礼までに、一つ手前芸を御覧に入れる。「お笑い遊ばしちゃ、厭ですよ。」と云う。「これは拝見!」と大袈裟に開き直って、その実は嘘だ、と思った。 すると、軽く膝を支いて、・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・――ところで、その嬰児が、今お見受け申すお姿となったから、もうかれこれ三十年。……だもの、記憶も何も朧々とした中に、その悲しいうつくしい人の姿に薄明りがさして見える。遠くなったり、近くなったり、途中で消えたり、目先へ出たり――こっちも、とぼ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ キリストのいうように「嬰児」の如くになり、法然の説く如くに、「一文不知の尼入道」となり、趙州の如くに「無」となるときにのみ、われわれは宇宙と一つに帰し、立命することができるのである。 五 知性か啓示か 今日この・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・その田圃側は、高瀬が行っては草を藉き、土の臭気を嗅ぎ、百姓の仕事を眺め、畠の中で吸う嬰児の乳の音を聞いたりなどして、暇さえあれば歩き廻るのを楽みとするところだ。一度消えた夏らしい白い雲が復た窓の外へ帰って来た。高瀬はその熱を帯びた、陰影の多・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・鬚の剃り跡の青い、奇怪の嬰児であった。 とみにとんと背中を押されて、よろめき、資生堂へはいった。ボックスにふたり向い合って坐ったら、ほかの客が、ちらちら男爵を盗み見る。男爵を見るのではなかった。そんな貧弱な青年の恰好を眺めたって、なんの・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ 父君ブラゼンバートは、嬰児と初の対面を為し、そのやわらかき片頬を、むずと抓りあげ、うむ、奇態のものじゃ、ヒッポのよい玩具が出来たわ、と言い放ち、腹をゆすって笑った。ヒッポとは、ブラゼンバートお気にいりの牝獅子の名であった。アグリパイナ・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ 口を小さくあけて、嬰児のようなべそを掻いて、私をちらと振りむいた。すっと落ちた。足をしたにしてまっすぐに落ちた。ぱっと裾がひろがった。「なに見てござる?」 私は、落ちついてふりむいた。山のきこりが、ひっそり立っていた。「女・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・ビジテリアン諸氏はこれらのことは充分ご承知であろうが尚これを以て多くの病弱者や老衰者並に嬰児にまで及ぼそうとするのはどう云うものであろうか。 第二は植物性食品はどう考えても動物性食品より美味しくない。これは何としても否定することができな・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
先だっての新聞は元新興キネマの女優であった志賀暁子が嬰児遺棄致死の事件で、公判に附せられ、検事は実刑二年を求刑した記事で賑わいました。出廷する暁子として、写真も大きく載せられ、裁判所は此一人の女優の生涯に起った悲しい出来事・・・ 宮本百合子 「「女の一生」と志賀暁子の場合」
・・・ それより前には、志賀暁子の嬰児遺棄致死罪についての公判記事が写真入りでのっており、又、解雇されたことを悲しんで省電に飛び込み自殺をしかけて片脚を失った少女の写真があった。新潟から身売娘が三十人一団となって上京した写真も目にのこっている・・・ 宮本百合子 「暮の街」
出典:青空文庫