・・・ 編輯室の人たちも耕吉の話を聞いて、笑いはやした。「熊沢蕃山という人のことなら僕らにもちっとは当りがつくが、その息子の先生と来てはさっぱり分っちょらんがな、何事をやった人物かい? どんなことをして生きていた人物かいっこうわからんじゃ・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・吾々はよく、あの砂糖屋の奥にあった、茶室風の部屋に集って、其処で一緒に茶を呑みながら、雑誌を編輯したり、それから文学を談じたりして時の経つのを忘れる位であった。戸川秋骨君、馬場孤蝶君は、私が明治学院時代の友達という関係から、自然と文学界の仲・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・そのころの私が自分の周囲に見いだす著作者たちはと言えば、そのいずれもが新聞社に関係するとか、学校に教鞭を執るとか、あるいは雑誌の編集にたずさわるとかして、私のように著作一方で立とうとしているのもめずらしいと言われた。私はよくそう思った。これ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・あって、なにも珍らしい事ではないけれども、その日、仕事場からの帰りに、駅のところで久し振りの友人と逢い、さっそく私のなじみのおでんやに案内して大いに飲み、そろそろ酒が苦痛になりかけて来た時に、雑誌社の編輯者が、たぶんここだろうと思った、と言・・・ 太宰治 「朝」
・・・そのころ美術学校の塑像科に在籍中だった三男が、それを編輯いたしました。「青んぼ」という名前も、三男がひとりで考案して得意らしく、表紙も、その三男が画いたのですけれども、シュウル式の出鱈目のもので、銀粉をやたらに使用した、わからない絵であ・・・ 太宰治 「兄たち」
この新聞の編輯者は、私の小説が、いつも失敗作ばかりで伸び切っていないのを聡明にも見てとったのに違いない。そうして、この、いじけた、流行しない悪作家に同情を寄せ、「文学の敵、と言ったら大袈裟だが、最近の文学に就いて、それを毒・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・ふと、その勤めている某雑誌社のむずかしい編集長の顔が空想の中にありありと浮かんだ。と、急に空想を捨てて路を急ぎ出した。三 この男はどこから来るかと言うと、千駄谷の田畝を越して、櫟の並木の向こうを通って、新建ちのりっぱな邸宅の・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・それはこれらの要素を編集して一つの全体を作るいわゆるモンタージュの立場における選択過程である。 だいたいのプロットに従って撮影されたたくさんのフィルムの巻物の中にはたくさんのむだなものが含まれている。とりそこね、とり直しがあり、あるいは・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・とは全然別の畑のもので、ほとんど純粋な教育映画としか思われないものであったが、それでも一つ一つのシーンにもまた編集の効果にもなかなか美しいものが多数に見られるのであった。ムジークのお客さんには少しもったいなくもあるし、またわかりにくそうにも・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そうした趣向がうまいのではなくて、ただその編集の呼吸がうまいのである。同じことをやるのでもドイツ映画だとどうしても重くるしくなりがちのように思われる。同じようにこの呼吸のうまい他の一例は、停車場の駅長かなんかの顔の大写しがちょっと現われる場・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
出典:青空文庫